NPO法人神奈川県日本ユーラシア協会

中世ロシア興亡史講義~歴代君主の素顔とその真実~862-1598

第181回~190回目次

第190回

第190回 ヤジェロヴィツ条約の締結(2022年4月号掲載)

 富裕なノヴゴロドは、急速に勃興してきたモスクワ大公国とリトアニア大公国に挟まれ、大きな脅威を感じていた。ノヴゴロドはモスクワ大公国とリトアニア大公国の間で…続きを読む

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第189回

第189回 ヴァシーリー二世とロシア正教会(2022年3月号掲載)

 ヴァシーリー二世に長らく抵抗していたドミートリー・シェミャカは毒殺された。ヴァシーリー二世はもっと早くにシェミャカを鎮圧しなければならなかったが…続きを読む

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第188回

第188回 ドミートリー・シェミャカの最期(2022年2月号掲載)

 ヴァシーリー二世とその家族は、ヴォログダの地から今度はトヴェーリへ向かった。トヴェーリ公ボリスからは、彼らを受け入れる意向が伝えられていたのだ。…続きを読む

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第187回

第187回 大公位を追われたヴァシーリー二世(2022年1月号掲載)

 目を潰されて盲目となったヴァシーリー二世は、妻と共にシェミャカの分領地であるウグリチ(現在のロシア・ヤロスラヴリ州にある古都。モスクワから北へ200キロ)へ送られ、その地に幽閉された。…続きを読む

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第186回

第186回 ヴァシーリー二世、目を潰される(2021年12月号掲載)

 タタール人をルーシの兵役に就かせて国境付近を防衛させ、同時に無人の地を開拓させる、ヴァシーリー二世の政策は、民族の尊厳を傷つけるものとみなして不満を持つ者がモスクワ内を含め多く存在した。…続きを読む

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第185回

第185回 捕虜になったヴァシーリー二世(2021年11月号掲載)

 1445年の初夏、ウル‐ムハンマドがモスクワを攻撃するために自分の二人の息子を送り出した、という報告が届いた。ヴァシーリー二世も、軍隊を率いて彼らに向かって出ていった。…続きを読む

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第184回

第184回 汗国から追放されたウル-ムハンマド汗(2021年10月号掲載)

 ユーリー公とその息子たちとの戦いが幕引きしたのも束の間、今度は汗国の方に問題が勃発した。諸史料によれば、ヴァシーリー二世は貢税を正確に汗国に納めていた。…続きを読む

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第183回

第183回 ガーリチ公ユーリー、死す(2021年9月号掲載)

 ヴァシーリー二世が逃亡している間、ユーリーと同盟者たちは1434年3月31日にモスクワへ入場、大公妃マリヤと前大公妃ソフィアを捕虜とし、自分の世襲領地の一つへ護送した。…続きを読む

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第182回

第182回 ヴァシーリー二世、再びモスクワを離れる(2021年8月号掲載)

 ユーリーの捕虜となり、和平条約を結んだ後にコロムナを領地として与えられたヴァシーリー二世であったが、事態は思いもよらぬ方向へ進んでいった。…続きを読む

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第181回

第181回 ヴァシーリー二世、モスクワから追放される(2021年7月号掲載)

 ヴァシーリー二世の結婚式の最中に皆の眼前で侮辱された、ガーリチ公ユーリーの息子たち(ヴァシーリー・コソイとドミートリー・シェミャカ)は、それまで、モスクワと対立する父親を積極的に支持してはいなかった。…続きを読む

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