第53回全国総会(石川県金沢市)
気分は浦島太郎?
関戸は1989年4月から1991年3月まで石川県で教員をしていました。もう四半世紀近く前のことなんですね。つい昨日のことのように思っていました。久しぶりに金沢の街を見て、浦島太郎になった気分でした。総会の会場はいずれも駅前でした。ところがその駅と駅前のあまりの変化に目を疑いました。石川時代の友人とは今でも年賀状をやり取りしていますが、その年賀状に新装の金沢駅の絵葉書が送られてきたことがあります。実物を見てびっくり。さらに駅の周辺の開発ぶりには本当に驚きました。関戸がいたころには駅の近くまで田んぼがあったのですから。
金沢は戦災にも天災にも遭いませんでした。第二次世界大戦中、爆弾が一発も落とされなかった県は石川と奈良だけです。北陸では富山は終戦の年の8月1日に大空襲があり、福井は1948年に福井大震災がありました。そのため、江戸時代そのままの街並みが残されています。その街並みが近代化し開発されていくのはやむをえませんが、古き姿が全てなくなっていくのは残念です。「浦島太郎」のボヤキです。
芸能と料理はどっちが大事?
総会初日の夜はレセプション。開会は東町の芸者の笛の音で始まりました。途中、蕎麦打ち実演もあり、プロ歌手の歌声も響きました。北陸の小京都金沢にふさわしい内容でした。
しかし、料理の少なさと不味さにはいささか閉口しました。乾杯の後、料理を取りに行くと種類は少なく、量もおかわりができるほどはなく、地元の料理は治部煮ぐらい。地酒も出ず、わびしいものでした。実は、関戸は石川時代の友人に会おうと思っていたのですが、レセプションは県連負担でしたので、友人との約束はキャンセルしたのです。友人と会っていれば、金沢の名物料理を食べたり、石川時代に行きつけにしていた居酒屋にも行きたかったのですが。
芸能と料理、皆さんだったらどっちが大事ですか?
弾丸「軽」?
今回、横浜~金沢の往復は関戸が2月に買い替えた「軽」自動車でした。この車に柴田会長と二人で乗り込み、東名高速と北陸自動車道を120kmで飛ばしたのです。
関戸は今、新潟にいます。横浜~長岡の往復を普通自動車でするよりも、この軽自動車の方がはるかに安く上がります。それで金沢へもこれで行くことにしました。柴田会長にお誘いをかけると乗っていくとのことでしたので、当日は朝5時半に迎えに行きました。高速に入ってからは一回休憩しただけで走りっぱなし。柴田会長曰く「これは弾丸だな」。
北陸自動車道では道路こそ雪はありませんでしたが、周囲はまだまだ深い雪。その中を駆け抜けていきました。
(関戸)
2/26 県連総会記念マトリョミン演奏会
ロシア民謡を歌う講義のあとは、マトリョミンコンサート。「一週間」と「カチューシャ」のオープニングの次は「赤と青」のコントラスト。そうです。定番の「赤いサラファン」と、「ブルーライトヨコハマ」だったのです。そして、会場の参加者にもマトリョミンに手を触れてもらい、音階を奏でてもらいました。初めてマトリョミンを見たという参加者には素晴らしい体験となりました。ラストはロシア国歌をアンサンブルのメンバー全員で演奏しました。短い時間でしたが、マトリョミンの音色を堪能したコンサートとなりました。
(関戸)
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4月7日(土)より順次、第116期ロシア語教室が開講しました。月曜夜19時、土曜午後16時には、アルファベットから初めて学ぶ方のための新規入門クラスを開設します。月曜から土曜まで、入門・初級・中級・上級・応用・会話の各種クラスがあります。途中からの参加もできますので、是非気軽にご見学ください。見学は3クラスまで無料です。
皆様のお申し込みをお待ちしています。
時間割・内容・料金(会員割引有)等の詳細は先月号同封のチラシ、またはホームページをごらんください。
お申し込み・お問い合わせ:
TEL/FAX 045-201-3714
メール yokohama-rosiago@hotmail.co.jp
教室ホームページ /教室ブログ
月曜~金曜、10:00~17:00の間、1コマ90分。
基本的には個人レッスン、同レベル・同時期開始の場合はグループレッスンも可。
入学金5,250円(会員は無料)、受講料1回3,000円。
お申し込み・お問い合わせ:
Tel/Fax 045-201-3714
E-mail eurask2@hotmail.co.jp
今期の残りレッスン日:3月24日(土)
2012年度前期予定(毎月2回、土曜日開講):
前半 4/7, 4/21, 5/5, 5/19, 6/2, 6/16
後半 7/7, 7/21, 8/4, 8/18, 9/1, 9/15
生徒募集クラス:
15:00~15:45(バラライカ上級)、17:00~17:45(ドムラ初級)、18:00~18:45(バラライカ初級)
講師:北川 翔
会場:横浜平和と労働会館5階
会員受講料(1回45分×6回分):
3~5名クラス:24,000円(1回4,000円)、2名クラス:36,000円(1回6,000円)、1名クラス:60,000円(1回10,000円)
※途中入学の方は終了回数分を値引きします。
お申し込み・お問い合わせ:
balalaika_domra@yahoo.co.jp
Tel/Fax 045-201-3714
今期の残りレッスン日:3月17日
日程:毎月1回、土曜日開講
2012年度前期予定:4/21, 5/19, 6/16(7月・8月・9月は会場の都合により未確定)
アンサンブルクラス(90分)13:00~14:30
グループレッスン(※60分・2クラスに戻ります)
Aクラス14:45~15:45、Bクラス15:55~16:55
入学金:3,000円(継続の方、会員は免除)
受講料:
アンサンブル 3,500円×5回=17,500円
グループレッスン 3,000円×5回=15,000円
※初めての方も歓迎。楽器をお持ちでない方は授業時間内のみ借りられます。
会場:横浜平和と労働会館2階 音楽センター
講師:平野 麻里 (マトリョミン演奏家、指導者 マトリョミングレード1級)
お申し込み・お問い合わせ
minatomirai_matoryomin@yahoo.co.jp
Tel/Fax 045-201-3714
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チェルノブイリ26周年救援キャンペーン チェルノブイリと福島
スライド講演 広川隆一、ゲスト ポポモワ・ワレンチーナ(ゴメリ「困難の中の子どもたちへ希望を:代表)、ゼレンケヴィチ・オリガ(ポポモワさんの娘)、武藤類子(「ハイロアクション福島原発40年」実行委員)、黒部信一(小児科医、「未来の福島こども基金」代表)
とき:4月22日(日) 開演13:30
ところ:明治大学駿河台キャンパス リバティホール(JR/地下鉄 御茶ノ水駅)
資料代:1000円
予約・問合せ:チェルノブイリ子ども基金
03-5228-2680 cherno1986@tokyo.email.ne.jp
同時開催:広河隆一写真展 チェルノブイリと福島
4月16日(月)~22日(日)9:00~21:00(最終日19:00終了)
明治大学駿河台キャンパス・アカデミーコモン1階展示コーナー
入場無料
各世紀を象徴するルーベンス、レンブラント、モネ、セザンヌ、ピカソら83作家の作品全89点。
とき:4月25日(水)~7月16日(月)
ところ:国立新美術館(六本木)
入場料:一般1500円、大学生1200円、高校生800円
問合せ:03-5777-8600
ロシアの雑貨や紙もの、古い絵本の販売とワークショップ
とき:4月17日(日)~5月6日(日)※5月1日、2日は休み
ところ:チェドック・ザッカストアギャラリー(千代田区東神田1-2-11 アガタ・竹澤ビル404)
ワークショップ:つるぎ堂の活版ワークショップ
4月21日(土)亜鉛凸版でオリジナル名刺を作ろう
4月22日(日)活字を組んで名刺を作ろう
問合せ:03-6240-9500
第9回 横浜大空襲を語り継ぐつどい
三渓園の空襲と被害、その苦難に満ちた再建
とき:2012年5月26日(土)13:30~16:30
ところ:横浜市営 上台集会所(本郷町バス停そば、スーパー上州屋2F)
入場:無料 資料代実費:500円
プログラム
第一部:アトラクション ロシアと世界の民謡・歌曲
出演:ルザエヴァ・マリーナさん(歌手、神奈川県日本ユーラシア協会ロシア語講師)
第二部:講演
(1) 私が見た被爆三渓園の惨状: 野村弘光さん(ホテル「ニューグランド」役員)
(2) 三渓園の戦災と復興: 川幡留司さん(財団法人・三渓園保勝会参事)
主催/お申込み:本牧・山手九条の会
横浜市中区麦田町2-45 横浜建設中支部気付
Tel: 045-641-3991 Fax:045-651-5084
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Tashkentで考えたこと~国際経営人類学入門~
春の小さな門出
未だに、Uzbek語等での日常会話にも不自由しており、「ヘレンケラー女史」が独自のスタイルでの会話をしていたのが不思議でならない。ハンガリー生まれのマイケル・ポランニーは、1935年代のスタリーンの堅牢な5カ年計画の遂行を命じられたブハーリンとの会話から、本来目指すべき、社会主義理論がその科学的必然性を遂行することで、当時のインテリの知的満足度を増進しているはずであったにもかかわらず、その実態の運用では、「科学が存在することのできない機械的な人間観や歴史観を無理やりにつくりだしていた」ことに驚愕したそうである。いまから考えると、サイバネティックスがなぜ旧ソ連で誕生し、其の多くの発想が新規ビジネスとしてアメリカで実現し、ロシア出身の若者が社長を務めるグーグルという大企業が誕生しつつあることは、それなりに納得のいくことでもある。
3月初めに、Tashkentにある「行政マネージメント大学院」で講義をした。この大学院は国家のあるべき姿とその運用マネージメントを、一般企業の管理者や行政官がDiploma取得のために勉強と研究をしている有料の政府機関である。沢山の議論の中での質問に「どのように日本は伝統的な文化を大切にするのか?」その回答として「日本は60年位のサイクルで日本人がこれまでの生活観と全く違う生き方をせざるを得ない昨年の東日本大震災のような出来事が起きるからです」お互いに「ヘレンケラー状態」だったが「言葉による以上の知性の交信」はあった。
小生の私塾から4月の門出。Uzbek人男子学生一人が、外務省留学試験に合格し、東京外語大学大学院の修士課程へ進学し、小生の通訳をしていたUzbek人男性一人が日本企業の正規採用で東京の水処理会社のサラリーマンになり、元JICA-JOCV女性隊員が東京大学大学院に合格し、環境論での修士論文を書くようになった。言葉もあまり通じない世界での手探りの”暗黙知の醸成“としてのビジネス創成も少しではあるが成功し始めてきた。
(新規ビジネス創成コンサルタント/在Tashkent 萩原孝信)
中央アジア見聞録(3)
~カザフスタン・ウズベキスタンの言語事情~
カザフスタンとウズベキスタンの両国で、街並み、気候など異なる点は多いですが、一番大きな違いだと感じたのは言語事情でした。
カザフスタンは、ほとんどの人がロシア語をしゃべっているという印象を受けました。特にアスタナは元々ロシア人が多かった地域のためか、ほとんどカザフ語を耳にしませんでした。カザフスタンでは国家語がカザフ語、公用語がロシア語とされています。そのため街中に書かれている「あけましておめでとう」の文字は、多くの場合カザフ語、ロシア語両方で並べて書かれていました。以前アルマティに行った時にカザフ人の一家にお世話になりましたが、その時はお父さん、お母さんはカザフ語とロシア語をほぼ半分ずつ話していました。それに対して大学生の子供はロシア語の学校に通って育ったため、ほとんどロシア語しかしゃべれず、カザフ語は知っている程度でした。カザフスタンはカザフ語学校とロシア語学校があり、どちらを出たかによって話す言語が違うようです。
一方でウズベキスタンでは、知り合いになった20代のウズベク人はロシア語があまりしゃべれませんでした。街中では多くの人が両方話せますが、ウズベク語の方が頻繁に聞こえてきます。文字も、ソ連時代はウズベク語がキリル文字で書かれていましたが、ソ連崩壊後にラテン文字に変わりました。学校ではウズベク語クラスとロシア語クラスに分かれていて、割合は8対2ぐらいとのことです。しかし、就職となるとロシア語を話せる方がはるかに有利だと聞きました。公的機関でも民間企業でも、仕事の場ではロシア語を使うことの方が多いようです。確かに空港や駅等国際的な場では皆ロシア語をしゃべっていました。
中央アジアの人々には、自分の民族の言葉を話したいという意識がある一方で、旧ソ連諸国との交流や仕事の場においてロシア語が便利だという事実もあり、何語を話すかというのは難しい問題なようです。島国であり単一民族の日本人にとってはなんとも理解しにくい複雑なものだとつくづく感じた旅行でした。
(高橋)
Eurasia Gallery
イスタンブール・アヤソフィアのモザイク画(田中)
(左)イスタンブール・市場の香辛料売り場(田中)
(右)ベラルーシの首都ミンスク市の風景(森)
協会からのお知らせ
本部理事長就任と理事長代行の設置について
日差しは、だいぶ春めいてまいりましたが、いかがお過ごしでしょうか。
3月17日・18日に、石川県金沢市で開かれた日本ユーラシア協会第53回全国総会において、体調を崩された安部理事長に代わり、若返りを図るということで、新たに理事長に選出されましたことをご報告いたします。これまでは、東京都連から理事長を出していたのですが、今回は、首都圏の協会組織の中で、独自の事務所を構え、事務局体制がしっかりしているということで神奈川から出して欲しいとの要請があり、それに応えたものです。そして、4月から本部がある経堂に通うことになりました。
それにより、桜木町の事務所が手薄になるため、3月24日の理事会で「理事長代行」の設置を決定し、現副理事長の棚田喜之さんを「理事長代行」に選出いたしました。棚田理事長代行には、毎日、桜木町の事務所に来ていただけることになっています。
会員のみなさまには、「寝に耳に水」のことと恐縮しておりますが、何卒、ご理解いただけるようお願い申し上げます。
なお、私は、経堂の本部事務所に詰めていますので、ぜひ、お近くに来られたときはお顔を見せてくださるようお願い申し上げます。
神奈川県日本ユーラシア協会理事長 木佐森雅道
神奈川県日本ユーラシア協会の古い機関紙をご提供ください
今年、NPO法人神奈川県日本ユーラシア協会は、日ソ協会時代から数えて50周年を迎えます。
それに伴い、これまでの協会神奈川県版機関紙を記念にDVD化し、9月に予定している50周年記念行事の出席者に配布する予定です。
現在DVD化作業中ですが、協会事務所にも保管されていない号が若干あります。以下に挙げる欠落号のうち、ご自宅に眠っているものがありましたら、協会事務局までご提供いただければ幸いです。
返却ご希望の方はその旨を同時にお知らせください。
皆様のご協力をお待ちしております。
【欠落号】1997年1月号~1999年3月号・5月号・10月号・11月号
【連絡先・協会事務局】Tel/Fax 045-201-3714 E-mail eurask2@hotmail.co.jp
ユーラシア関連記事・写真の投稿、ご意見、ご感想、情報等 大歓迎!
字数は読み物なら400字~800字程度(長ければ連載で)、案内なら1行~200字以内で。この神奈川県版機関紙「日本とユーラシア」に関するご意見やご感想なども歓迎します。月末締切。投稿は郵便・FAX・Eメールのいずれかでお願いします。宛先は下記の通りです。
NPO法人神奈川県日本ユーラシア協会 機関紙編集部
〒231-0062 横浜市中区桜木町3-9 横浜平和と労働会館1階・5階
Fax 045‐201-3714
E-mail eurask2@hotmail.co.jp
(機関紙編集部)
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許せない歴史の偽造 ~自由社、育鵬社の歴史教科書~
日本海海戦の「驚異的な勝利」
自由社版教科書は「ロシアは劣勢をはね返すため、本国からバルチック艦隊を派遣した。―中略―これを迎え撃った日本の連合艦隊は、東郷平八郎司令長官の指揮のもと、兵員の高い士気とたくみな戦術でバルチック艦隊を全滅させ、世界の海戦史に残る驚異的な勝利をおさめた。」としています。(下線著者)
しかし、ここには同盟国イギリスによる最新鋭軍艦の提供、軍事顧問団の派遣、有線、無線、海底ケーブルによる情報活動支援、イギリス・アメリカの協力によるスエズ運河通航拒否、ロシア艦隊寄港、食料・燃料補給拒否、ロシアにおける革命の高揚などが一切記されていません。日本が独力で勝利したように描かれています。
実際には日本の戦艦6隻は総て当時最新鋭のイギリス製でした。有名な戦艦三笠はヴィッカース社製です。装甲巡洋艦8隻のうち4隻がこれも最新鋭のイギリス製でした。海洋国家イギリスの支援の下、日本海軍は世界最高水準の軍艦を保有出来たのです。それだけではありません。当時の日本海軍にはイギリスから買い入れたばかりの軍艦の操船技術すら習得しきっていませんでした。
磯子の郷土史家、畏友、葛城峻さんの調査によれば、私の父・柴田権蔵が働いていた横浜市磯子区のBabcock & Wilcox Company(通称「禅馬工場」)の初代社長ブリトン氏は「敵艦見ゆ」で有名な哨戒艦信濃丸の雇われ機関長だったのです。(※上図参照)彼は信濃丸への愛着たちがたく当時横須賀海軍工廠に入渠中の同艦の甲板チーク材の払い下げを受け、自宅の外壁を飾りました。令嬢、Lady Dorothy Brittonさんが葉山の一色海岸でご健在ですが、同家の暖炉周辺やベランダも信濃丸の用材です。信濃丸の椅子10脚が山手10番館にあります。是非ご覧ください。
イギリスからは33名もの観戦武官が派遣されてきました。イギリス、アメリカなどの観戦武官は軍事顧問としての役割も果たしました。イギリスからは後に日本陸軍武官となったエイルマー・ハルデイン 、アメリカからは歴史の皮肉というべきか、アーサー・マッカーサー・ジュニア、 副官として後に太平洋戦争で日本を占領した連合軍最高司令官、息子のダグラス・マッカーサーが参加しました。
(柴田)
協会サイト内 中世ロシア興亡史のページ をごらん下さい。
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