「大使が実は先輩だった!」ということが発覚して企画したこのイベントですが、ついに11月23日(土)に実現に至りました。当日はぴかぴかの晴天。天候にも恵まれ、キルギス大使、リスベク・モロドガジエフ閣下を初めとした大使館の方々、大勢の参加者とスタッフ、美しい自然に囲まれ、とても素敵な一日となりました。
キルギスの方々は日本語がしゃべれるの?と心配されていた方も多かったのですが、なんと大使は日本語がぺらぺら。それどころか、誰がキルギス大使館の人か、日本人か分からないくらい、顔もとてもそっくり。大使の講演によると、キルギス人と日本人はもともと同じ人種で、「魚が好きな人は日本に、肉が好きな人はキルギスに移り住んだ」そうです。キルギス語も文法が90%日本語に似ていたり、政治体制が日本と同じ議会制をとっていたり、共通点はとても多いようでした。
講演の後はキルギスのお菓子を囲んでグループディスカッションを行いました。キルギス大使館の方々による素晴らしいおもてなしで、揚げパン(ボルソク)とチャクチャクをご用意いただきました。私は揚げパンがとても気に入り、はちみつをつけて食べるのがとてもおいしく、何個もいただいてしまいました。材料をキルギスから取り寄せて作っていただいたようです。各班ではキルギスの音楽について、言語、文化などについて皆で語り、大変盛り上がりました。「バイカル湖は実はキルギス人が名づけた」ということも教わりました。
後半は、三溪園にて自然を楽しみながら大使と共に散策をしました。天気も良く、すがすがしく、紅葉が実に見事でした。ガイドの中島さんにご案内をいただきながら、参加者で和気あいあいと散策しました。大使と大使の奥様、お嬢様は三溪園に初めていらしたそうですが、横浜なのに京都みたいだとびっくりされていました。横浜というとみなとみらいのイメージが強く、新しい街だと思っていましたが、こんなに素敵なところがあるなんて…と感動された様子でした。キルギスからお客様が見えたときに、ぜひ案内したいともおっしゃっていただき、私たちとしてもとても嬉しい思いでした。
おいしいお菓子、美しい自然に囲まれて、とても気さくで優しいキルギス大使館の方とお話しできて、楽しく有意義な一日になったと思います。参加者の方々にも、楽しかったと言っていただいただけでなく、キルギスに行ってみたい、とキルギスに関心を持っていただくこともできました。このような企画をぜひ今後も続けていきたいですし、キルギス大使、大使館の方々とも親睦を深めていきたいと思います。
(髙橋)
2013年11月3日(日)
水漬くかばね、草むすかばね
11月3日(日)は三連休の中日。人数は少なかったのですが、墓地調査を行いました。スタッフは田中さんと関戸。参加者は4人でした。
今回は、沢田和彦埼玉大学教授から指摘されていた、不明の墓を見つけるための調査でした。6人いたので、3人ずつの2グループに分かれて調査を開始。その中の一コマです。関戸は伊藤さん・萩野さんと一緒に調査しました。その際、墓地の一角の藪の中にいくつかの墓石が埋もれるように存在しているのを発見しました。横浜外人墓地は関東大震災のため、かなりの墓石が倒壊しました。その墓石は数百にものぼり、放置されたり防空壕のような穴に放り込まれたりしました。また、墓地も斜面の部分は崩落しました。そのため、半分ほど埋まっていたのです。
伊藤さん・萩野さんは藪をかき分け、雑草を取り除き墓石を丁寧に調べてくれました。お二人とも「軍手がないとだめですね」「のこぎりやなたがないとこれは取れませんね」といいつつ、一生懸命取り除いてくれました。伊藤さんがこう言われました。「私の父はレイテ海戦で死にました。乗っていた『千代田』という軍艦が沈められて全員戦死でした。海の底ですから遺骨も戻りません。戦死公報が来ただけでした。こんな荒れ果てたお墓を見ると、遺骨も戻らない父と同じように、切ない気持ちになります」と目に涙をためて話をしてくれました。
その話を聞いたとたん、関戸は冒頭の言葉を連想したのです。関戸は大学で国文学を専攻し、卒業論文は万葉集でした。大伴家持を調べていた際、「海行かば」の作者であることを知りました。「水漬くかばね」は伊藤さんのお父様であり、「草むすかばね」は目の前の墓であることを思いました。
望郷の念にかられながらも、この横浜が終焉の地となった人たちが多くいるのです。このことを知った私たちがこの墓地に眠る人たちを見守っていく必要があるのではないでしょうか。伊藤さん・萩野さんともに、「次回は、軍手とのこぎりとなたを持って来ましょう」といっておられました。次回は、管理事務所にも相談し、墓地の整理もしたいものです。
(初期の目的である不明の墓は田中さんのグループが発見しました。大収穫です。)
(文・関戸/写真・萩野)
ついに発見!所在不明だった墓
11月3日に行われたロシア人墓地で、2チームのうちもう一方のチームの報告です。
今回の調査の第1の目的は、ここに埋葬されているはずであるが、まだ見つかっていないロシア人(実際にはアルメニア人)のイワン・サゴヤンとその妻ツル・サゴヤン(日本人と思われる)の墓を発見することでした。
私たちのチーム3名は、墓地の下のほうから捜索しました。既に調査済みの場所は避け、またロシア正教の十字架も避けました。小さな 十字架だけで名前のプレートしかない墓も含めて、しらみつぶしに調べましたが、なかなか発見できません。
そのうち他の地図で6番という区域に、まだ調査していないのではと思われるロシア正教の墓の一群を見かけました。早速調べましたが、サゴヤンの墓はありませんでした。
ところが一群の墨の隣にあった非ロシア正教の墓のイタリックの文字を何気なく読んでみると、それがなんとサゴヤンと書かれていたのです。(写真上)
正確にはIVAN SAGOYANと妻のTSURU SAGOYANです。
二人はともに1888年に生まれ、イワンは1952年に、ツルは1962年に東京で死去しています。
これまでの調査では、ロシア正教の十字架とキリル文字のみを注目していたために、発見できなかったのです。
こうなると、非ロシア正教のロシア人が、他にもまだ埋葬されている可能性が出てきたので、別の角度で調査する必要があります。
(田中)
会館まつり報告
11月30日(土)は横浜平和と労働会館の年に一回の会館まつり。昨年は開催されなかったので2年ぶりの祭りでした。ところが、今回は会館まつり四半世紀の歴史の中で、最も来場者の少ない祭りとなりました。
県連としては、1Fの事務所前にサモワールを据えて、黒パンつきの紅茶の売店を出しました。いつもなら、開会の時にはどのフロアも人がたくさんいるのに今回は寂しい限り。一般の来場者がほとんどいなくて、内輪の集まりかスタッフばかり。
11時~17時の開催中、売れた紅茶は21杯。もっと売れると思っていたのですが…。せっかく用意した黒パンもかなり残りました。残った黒パンはその後の理事会でつまんだので無駄にはなりませんでしたが、それにしても残念。
反省会では「ユーラシアさん、いつも2Fで出し物やるのに今年はどうしたの?」「今年は歌も演奏もなかったねえ」との声も。次回は物産もコンサートも出るようにしましょう。
(関戸)