賑やかだった合同望年会
2013年12月23日(日) 横浜平和と労働会館
ロシア語・日本語教室・会員合同望年会が12月15日(日)の14時から平労会館の3階で行われました。受講者や講師だけでなく、日ごろ教室運営を支えている協会の皆様や、本部からも参加され、20名の賑やかな会になりました。お互いに初めて会う人たちもいたのですが、和やかな雰囲気の中で交流を深めることができました。また、ロシア人参加者にソチに関するインタビュー収録を行うためにNHKからの取材班も来ました(番組は「あなたが主役50ボイスSP-ソチ五輪直前ボイス」で、2月7日22時からの放送予定)。すでに並んでいた前菜や飲み物に、参加者持参の自家焼きパン、ワイン、リンゴ、アップルパイなどが加えられ、ゴージャスなテーブルになりました。
挨拶も乾杯の音頭も、そして参加者の自己紹介も日本語とロシア語を混ぜ合わせながら進み、学んでいる言葉で上手にできた方、まだ慣れないからと母国語になった方、みんな自然な感じで楽しく語り合うことができました。クライマックスはイリーナ先生クラスのロシア語劇「大きなカブ」と「コロボーク(丸パン)」、そして歌と踊りでした。日ごろの学習の成果を発表する場、覚えた言葉を使ってみる場としての寺子屋合同交流会ならではの内容になりました。
その後5階に場所を変えて、NHK教育テレビの番組≪グレーテルのかまど≫で放送された「米原万里のハルヴァ」の録画を全員で鑑賞しました。ハルヴァを知っている人も知らない人も、好きな人も嫌いな人も、ハルヴァの歴史や流布状況を詳しく知ることができた面白い番組でした。オクサーナ先生と日本語教室受講者のナターリャさんがこの番組に出演されていたのも嬉しいことでした。
その後3階の会場に戻り、温かいペリメニとシャシリクをいただき、この日のために取り置きしていたハルヴァとアルビナさん手作りのアップルパイを賞味し終えた頃、借りていた会場の終了時間になりました。そこで全員でテーブルの上のものを5階に運び、会場の後片付けをした後、教室での二次会となりました。二次会にも多くの方が残られ、新しく参加された方と一緒に19時まで楽しく過ごされたのでした。
(野口)
ミニ上映会「アナザーウェイ―D機関情報―」報告
新しい企画として、ミニ上映会が始まりました。第一回は12月23日(月祝)に開催されました。三連休の最終日で、しかも年末ということで人は集まらず、関戸の他は田中理事長と事務局の野口さんだけ。いささかさびしい人数でしたが、時間通り開始しました。
映画は「アナザーウェイ D機関情報」。未見の方のためにストーリーは詳述しませんが、実在の人物と事実を下敷きにした作品です。第二次世界大戦末期の中立国スイス。駐在武官として赴任した海軍中佐がスパイ戦に巻き込まれ、命の危険に遭いながらも、和平工作に献身する姿を描いています。田中さんも野口さんも初めてごらんになったとのこと。上映の後にいろいろと語りました。
日本国内では「皇国不敗」「本土決戦」「一億玉砕」などという状況でしたが、中立国では日本と世界の状況が客観的にわかります。また、中立国ですから敵味方関係なく、情報は正しいものが伝わります。映画の中では、沖縄戦の状況がイギリスのBBC放送で報告されました。その兵力や物量にスイス公使も海軍中佐も驚愕します。また、日ソ中立条約破棄やソ連軍東進の情報が伝わると、公使が「2月4日のヤルタ会談では、条約破棄は3国の間で合意されていたそうです」とソ連軍参戦を危惧しました。いずれも日本国内では一般の国民には全く知らされていなかったことです。
上記のことを3人で語りながら、関戸はふと秘密保護法に思いを馳せたのです。時の政府にとっては、都合の悪い情報を知っている、あるいは事実を知らせるということが罪になるのです。私たちの友好相手の旧ソ連・ロシアは、自衛隊の仮想敵国です。私たちが仲良くしよう、友達になろうとしているこの運動は、政府にとっては利敵行為・通敵行為になるかもしれません。そうなったらユーラシア協会はどうなってしまうのでしょうか。そんなことをこの映画をみて、考えてしまいました。
そうならないように、みんなで声をあげてこの悪法を運用させないようにしなければなりません。戦争と平和について、考えるきっかけとなった上映会でした。
第15回 大河アムール・ハバロフスク市民交流の旅
第2部 ハバロフスク到着~ダーチャ訪問
●8月6日
インツーリストホテルの前でバスを降りたツアーの一行は、ロビーに入り、チェックインを行ってもらったガイドのオリガさんから、部屋のキーを受け取ります。部屋のキーは、昔と違ってカードキーです。また各階にいるジェジョールナヤに渡したりもしません。
関戸さんが、今後の予定を説明した後、各自部屋に移動しました。関戸さんはロビーに残って、先に到着していたTV局のカメラマンの取材を受けました。
ホテルでは夕食がついていないので、みんなで近くの食料品店に買い出しに行くことになりました。あいにく降り出した雨の中、5分ほど歩くと店につきました。店は古い建物の1階の角にあり、狭いのですが、必要な食料品はそろっていました。
ホテルに戻って、関戸さんと石川さんの部屋に集まり、夕食兼交流会をやりました。
一通り自己紹介をした後は、さまざまな話に花が咲き、楽しい時間を過ごしました。
●8月7日
朝の天気は曇りでした。
朝は朝食が付いているので、1階のレストランで朝食をとります。レストランは広く、照明は暗くしてあって落ち着いた雰囲気です。でも夜は一変し、奥にある舞台で歌手が歌い、ナイトクラブのようになります。7時から開き、料理はバイキング形式です。
食事の集合は特に決めていないので、旅行メンバーは、それぞれの時間で食事をとり、8時ごろにはとり終えたようでした。
この日の予定は、ダーチャ体験コースの10人は、ハバロフスク菜園協会に立ち寄った後、ダーチャに向かいます。ホームステイコースの5人は、例年であれば、午前中は市内観光になるのですが、今年は申込者が少なく、取りやめになったので、3人は自由行動、同じくホームステイコースの石川さんは、例年通りドムラ演奏家のヤンキナ先生宅でドムラレッスンを受けます。そして私はダーチャ体験コースの人たちとともに、ダーチャを訪問することにしました。
9時にロビーに集合してから、マイクロバスに乗り込み、まずハバロフスク菜園協会の事務所に向かいます。この事務所は、ホテルからは南のほうにあります。バスの中で、オリガさんのダーチャついての説明を聞きながら、景色を眺めていると、アムール河の支流であるウスリー河が見えたので、けっこう南に下がったのがわかりました。40分ほどでバスは事務所に到着します。事務所は、さすがに菜園協会だけあって、オフィス街の建物の中ではなく、メイン道路から入ったところにあるちょっとした広さの広場に、1軒の木造の2階建ての建物にありました。この広場に面して、ダーチャで使う農機具や種、肥料などを売っている店が2軒ありました。
私たちはまず、事務所の中のやや細長い部屋に案内されました。この部屋は協会の会長さんの執務室兼応接室のようでした。そこにその会長さんが現れ、しばらくの間、協会についての説明を行います。そのあと質疑応答に移り、何人かが質問しました。
最後に、会長さんが、以前日本人の訪問者からプレゼントされたという、祭の法被に着替えて、一人一人をねぎらって回りました。
会長さんとの交流の後、外の店の中を見て回りました。そこにはダーチャで必要なものは何でもそろっているようでした。農家で北海道から参加した人は、種に興味を持ったかもしれませんが、残念ながら日本に持ち込むことはできません。
バスは協会事務所を後にして、いよいよダーチャに向かいます。
私たちが向かうダーチャは、アムール河の中州にあるので、アムール河にかかる長い鉄橋(アムール河鉄橋)を渡ることになります。この鉄橋は2階建てになっており、1階をシベリア鉄道が走り、2階が自動車道路になっています。川に差し掛かるころには、右手に鉄橋の博物館が見えます。そこには昔の鉄橋の一部が残されています。川を渡り切って中州に入っても、しばらく両側が湖のように見えました。アムール河の洪水です。
このころには右手にシベリア鉄道を見ながら走ることになります。この時は、残念ながら、保線の作業員がトロッコを押しているのを見ただけで、列車を見かけることはありませんでした。しばらく走ってバスは左折し、ダーチャ地帯に入ります。そしてさらに左折し、未舗装の車1台が走れるのがやっとというような道路になります。両側には所々水が来ているのが見えました。
協会事務所を出てから1時間ほどで、目的のダーチャに到着しました。
そこはリュドミラさんという人のダーチャです。何年か前に訪問した覚えがあるところでした。
~次号に続く~
(田中)