今月の表紙

特定非営利活動法人神奈川県日本ユーラシア協会機関紙「日本とユーラシア」

2016年1月号 No.651

会長 柴田 順吉

 会員の皆様、協会関係者の皆様!
 明けましておめでとうございます。

 昨年度の皆様方のご活動、ご協力に深く感謝します。

 お蔭をもちまして2015年度活動計画に基づいて、ロシア語・日本語教室、音楽教室、料理教室などの教育事業、ヨールカ祭、ハバロフスク旅行、国際フェスタ、DVD上映会、「平和のための戦争展」、などの催事、ダーチャ普及運動等は概ね成功裏に遂行されました。

 特にハバロフスクでの「広島・長崎原爆展」は広島県連、ハバロフスク露日協会との3団体共催という点でも、海外で初めて行った展示会であった点でも、協会活動に相応しい画期的なものでした。

 また、ロシア語教室では徳永ゼミの新設、ロシア語講師のためのミニ・シンポジウム、教科書『3パターンで決める日常ロシア語会話 ネイティブ表現』の出版、教室環境の大幅改善など目覚ましい前進がありました。

 ダーチャ普及運動も岡山県、広島県、京都府、山梨県、千葉県、福島県に広がりを見せ、これらを結集するNPO法人「ダーチャ・サポート」の登記が完了しました。

 然し、計画されていた外国人墓地調査、在日ロシア人との連携行事、大使館との交流、学習・講演会、抑留体験記録などは残念ながら実施されませんでした。

 財政は1997年以来の黒字を18年に亘って立派に守ることが出来ました。

 2016年度は昨年度までの成果と欠陥を具体的に分析し、より良い計画を立て、責任を持って100%完遂したいと思います。

 この際、特に強調したいのは、協会が910万神奈川県民との結びつきをもっと、もっと強める事です。200人余りの会員は人口比で0.002%に過ぎません。現状はまだ土の中で発芽しつつある種子のような状態です。広い空間に芽を出し、枝を伸ばし、葉を茂らせ、花を咲かせ、立派な実を結ばせなければなりません。

 ロシアは肉眼で見える日本の最も近い隣国であり、ロシア、ウクライナなどを含むCIS諸国は地球上最も広大な地域です。この地域の諸国民との相互理解、親善を図る我が協会の活動は日本と世界の平和にとって極めて重要であり、やりがいのあるものです。

 創立以来54年間の活動を基礎に、今年は日本の内外情勢に相応しい、従来の枠にこだわらない、創意工夫に満ちた、楽しく、有益な活動を展開しましょう。

 皆さん、本年も是非宜しくお願いします!

行事予定

ロシア風新年会+クリスマス会「ヨールカ祭2016」開催迫る!

ヨールカ祭  神奈川県日本ユーラシア協会の1年は、ロシア風新年会「ヨールカ祭」で幕を開けます。日本在住ユーラシア諸国民と、協会員・教室講師生徒・ユーラシアに興味のある方々が交流できる最大のパーティーです。お誘い合わせの上、是非ご参加を。詳細はリンク先のチラシ(PDFファイル)をごらんください。

日時:1月24日(日)12:30開場、13:00開始
会場:横浜市従会館(横浜市西区宮崎町25/JR桜木町駅徒歩15分)
参加費:一般 2,500円/会員、ユーラシア(旧ソ連)諸国出身者、高校生 2,000円/小中学生 1,000円/未就学児無料
お申し込み締切:1月21日(木)。要予約。お名前、参加人数、連絡先電話番号、大人・中高生・小学生・未就学児童の区分をご連絡下さい。
お申し込み先:神奈川県日本ユーラシア協会事務局
Tel/Fax 045-201-3714
E-mail eurask2@hotmail.co.jp

ヨールカ祭 ボランティアスタッフ募集中!

ヨールカ祭 ◆1月23日(土)
12:00 横浜平和と労働会館1階協会事務所に集合、食材等買い出し
14:00 調理開始
※予定は変更の場合あり。まずはお申し出の上、詳細をお問い合わせください。

◆1月24日(日)
8:30 横浜平和と労働会館1階集合・荷物運搬/横浜市従会館4階ホールで会場設営・装飾・料理準備
13:00 開会・料理提供開始
16:30~17:00 撤収・運搬
17:00~ 協会事務所・教室での片づけ

★前日の調理・当日午前中の設営を担当された方はヨールカ祭の参加費無料!

「名作映画鑑賞懇親会」戦後初のカラー映画『石の花』

『石の花』  昨年は戦後70年という区切りの年で戦争と平和を考える作品を中心に、一年間6回の映画DVD鑑賞を行いました。今年は旧ソ連の作品を中心に開催します。

 そのトップは『石の花』です。第二次世界大戦後、日本で最初に公開されたカラー作品です。1946年製作のソ連初の長編カラー映画で、日本公開は1947年でした。まだ、日本中に戦争の傷跡が生々しく残っていました。その焼け野原だったころ、映画館の中でこの『石の花』を観賞した観客は、映像の美しさに声もありませんでした。現在のCGやFSXにも匹敵するような映像の世界は、とても70年以上前のものとは思われません。そのすばらしさは実際に上映会でごらんになってください。

 すばらしいのは映像だけでなく、その話の面白さにもあります。民話をもとに、子供から大人まで楽しめる内容になっています。今ここで種明かしをしてしまうと、観る楽しさが減ってしまいますので、内容には触れません。ただ、映画の中に出てくる数々のシーンはとても興味深いものがあります。一つだけ、紹介しましょう。「ペチカ」をご存知ですか?満州にいた陸軍部隊の兵舎では必ず設置されていました。もちろん、これはロシアの一般家庭に普及していました。その「ペチカ」は家庭の中心になるのです。暖房だけでなく、調理にも使われました。そして、風邪を引いた時には石の「ペチカ」の上に布団を敷き、寝ていたのです。そのシーンが出てきます。さあ、この後は映画を見てのお楽しみ。日曜の午後、家族そろって楽しめる映画鑑賞懇親会にします。ぜひ、ご参加ください。

【映画情報】1946年・ソ連作品/監督:アレクサンドル・プトゥシコ/脚本:パーヴェル・バジョフ/イワン・ケッレル/撮影:フョードル・プロヴォロフ/音楽:レフ・シュワルツ/出演:ウラジーミル・ドルージニコフ、タマーラ・マカーロワ、エカテリーナ・デレフシチコーワ、ミハイル・ヤンシン他

日時:2016年2月28日(日)14:00~
会場:横浜平和と労働会館5階 当協会教室
会費:一般500円、会員300円(茶菓子代、資料ほか実費)
お申し込み先:神奈川県日本ユーラシア協会事務局
Tel/Fax 045-201-3714
E-mail eurask2@hotmail.co.jp

活動報告

カムチャツカを知り、交流を深める楽しい機会でした
~2015年12月20日 カムチャツカ料理教室・望年会~

 2015年の料理教室と望年会が決まったのは10月の初め。フェスタ用のピロシキとボルシチを調理していた「ふりーふらっと」でのことでした。ボランティアの皆さんが調理台を囲み交わされた会話の中で、横浜ロシア語教室のタチヤーナ・シプコーワ先生とお友達のオリガさんがカムチャツカ料理教室の開催を提案。皆さん、この提案に大喜び。その場で12月20日の調理室と望年会用会議室を予約されました。

 その後、タチヤーナ先生とオリガさんが決められたメニューは魚スープのウハーと鮭のカツレツ、イカのサラダ。お二人から受け取ったレシピは、北の海に囲まれたカムチャツカならではの新鮮な鮭やイカを豊富に使う内容でした。日ごろ切り身の鮭しか買ったことのない身には量の見当もつかず、どこで購入できるかも分からない状態。«В чужой монастырь со своим уставом не ходят. (郷に入っては郷に従え)»ではないけど、 こちらの食材事情に合わせなければならないことへのご理解をいただきながら、使えそうな食材を求めて幾つかの魚屋さんや業務用スーパーへ下見に行きました。

 数日前にお仕事の都合でカムチャツカ出身のオリガさんが参加できなくなったとの連絡あり。でもウラジオストック育ちのタチヤーナ先生のお父さまもカムチャツカご出身。魚料理はタチヤーナ先生の父親の味。また、お父さま御手製のカラフトスグリジャムを皆様に食べていただきたいと、これもお父様直伝のカムチャツカ風オラドゥシキを追加してくださいました。ご主人も手伝って下さるとのこと。何とかなりそうです。タチヤーナ先生に感謝。

カムチャツカ料理教室+望年会  当日の料理教室の参加者は14名。その内5名の方は協会行事へは初参加。料理教室のみに参加された4名の方たちで1グループを作り、残りの2グループは望年会組としてそれぞれ倍の量を作ることに。冒頭の挨拶と手順の説明が終わり、それぞれのグループで調理スタート。塩・コショウなどその多くが適量と書いてある大らかな(大まかな?)レシピに従って、皆様楽しそうに鮭の骨や皮を取り除き、料理を進めて行かれました。もちろん、それぞれのグループで多少違った味に。でもどのグループでも美味しい鮭のウハー、鮭カツレツ、イカサラダ、オラドゥシキができました。形は多少不揃いでも、素人料理ならばこその味わい深さ、面白さです。

カムチャツカ料理教室+望年会  望年会はロシア風に午後2時から昼食会として開催されました。参加者は19名でした。前菜のサラダ、スープ、メイン料理の鮭カツレツ、デザートのスイーツ、そしてミカンや織田先生差入れのリンゴもあるフルコースです。飲み物は、ソフトドリンク、ビール、ワイン、ウオッカ。豪華な食卓になりました。乾杯の後、いよいよ試食です。自ら作った人は、もちろん、美味しくいただき、作らなかった人も珍しい料理を美味しいと言いながら食して下さいました。それにしても、IHコンロとスープ鍋が合わず、スープが冷えてしまったのが残念でした。細部に配慮が行き届かなかった反省点です。参加者の皆様の会話ははずみ、カムチャツカ旅行の思い出、旅行への憧れ、そして来る年への望みを語りあった、まさにその名に相応しい望年会になりました。

(野口)

「敵の戦車が兵隊の数ほどあると思うか」
DVD『戦争と人間』鑑賞懇親会報告

『戦争と人間』ロケ 『戦争と人間』ロケ。中央の白い帽子が河崎保さん、右が山本薩夫監督。(写真:河崎保さん提供)

 戦後70年を締めくくる行事として、12月23日(水祝)に映画『戦争と人間』第三部(完結編)の鑑賞会を行いました。参加者はスタッフ4人と会員その他5人の9人でした。特筆すべきは、1973年(昭和48年)製作のこの映画の協力監督河崎保さんを招いての講演を含めての鑑賞会だったことです。

 この記事を読んでおられる方の中には、1973年には生まれていない方もいらっしゃるのでは。何しろ、ご夫婦で参加された方は「私はこの映画の一年後に生まれました」と言っておられたのですから。そんな若い方を前に河崎さんの撮影秘話から。この映画の監督であった山本薩夫からの依頼で協力監督を受けたとのことでした。理由は、河崎さんは日本映画において『きけ、わだつみの声』(1950年版)をはじめとして、俳優としての実績があったこと。そして、モスクワでの日本語放送アナウンサーとして経験が15年あったこと。つまり、日ソの事情に精通しており、ソ連でのロケにおいて双方の調整役として適任であったからなのです。

 その撮影の裏話として……。

 ①ロケは昼間だが、ソ連側は一日8時間労働なので、ロケが終了していなくても全員が「時間だ」と言って自分たちだけロケから上がろうとする。日本側の意向を伝え、「このシーンの撮影が済むまで」と何度も交渉を繰り返したこと。

 ②ボルゴグラード(旧スターリングラード)のロケ地では、第二次世界大戦中の塹壕をそのまま使用したこと。そして、その塹壕の中でおよそ30年前の独ソ戦で撃ち合った実砲があったこと。この鑑賞会に持ってくるつもりだったが、しまいこんで持って来られなかったこと。

 ③セリフのある日本人俳優はわずかな人数で、映画の中の日本軍兵士は、ほとんどロケ地で募集した人であること。旧ソ連でのボルゴグラードは南部だったのでアジア系が多く、衣装だけで間に合ったこと。

 などの話を聞くことができました。映画のパンフや映画誌などには絶対に記載されない話で、参加者は大変興味深く聞いていました。

 その後に映画鑑賞となりました。前半・後半でおよそ3時間の上映時間でしたが、その時間を感じさせない内容。前半では、「帝国陸軍」の内務班での制裁や初年兵のひどい扱いなどがリアルに描かれていました。関戸の父も関東軍にいましたが、通信兵でした。ヘッドホンをつけるためビンタや鉄拳制裁などはなく、勤務そのものも通信隊は歩兵や砲兵などとは違っていました。けれども、一般の内務班ではとんでもない暴行が日常茶飯事であったことが良く分ります。また、主人公が関東軍参謀たちの前で、数字を明らかにして「近代戦は総力戦である」ことを説明しても、精神力で片づけてしまう軍人の無知な横暴ぶりが目立ちました。

 後半では、「敵性村落」を焼き討ちにする日本軍の姿が描かれていました。武器を持っていない丸腰の村民を殺戮していくのです。ところが、八路軍(中国共産党ゲリラ)が急襲すると、たちどころに退却してしまうのです。そして、一番の見どころのノモンハン。未見の方のために詳述は避けますが、ここに冒頭の言葉が出てくるのです。「敵の戦車が兵隊の数ほどあると思うか」と上官から聞かれ、兵隊は「ありません」と答えるのです。しかし、このノモンハンから6年後、ソ満国境の戦いで、関戸の父は日本軍の兵隊の数よりも多いソ連軍の戦車隊に遭遇するのです。映画の中では、太平洋戦争末期の戦いのように全滅する日本軍の悲惨な姿が描かれています。あまりの苛烈さに発狂する兵士の姿、戦車隊に蹂躙され自決する連隊長、弾丸を撃ち尽くし戦車に向かって突撃し全員戦死する部隊。そこには、「無敵皇軍」だの「精鋭関東軍」だのという姿は一切ありません。参加者の野口さんのお父様はこのノモンハンに出征したとのことでした。その苛烈さを鑑賞会の後に語ってくれました。

 このノモンハンの悲劇は一般の国民には知らされず、日本はわずか2年後にアメリカとの戦争に突入するのです。知っていれば、勝てるとはだれも思わなかったでしょう。関戸の父自身が、戦場でソ連軍を間近に見るまでは、「アメ公もロスケも大和魂のない腰抜けだ。こんな連中に日本が負けるわけがない。日本より強い国などない」と信じていたのですから。

 無知は戦争の最大の原因です。そのことを深く理解する鑑賞会でした。

(関戸)

報告・第17回大河アムール・ハバロフスク市民交流の旅 (2)

■ 第3日目 8月7日

 朝から雨でした。

 朝食を取った後、ニコライさんに車でホテルに送ってもらいました。

 この日はダーチャコースの人は1日中ダーチャ生活です。

 ホームステイの4人のうち、私とこのコースの参加者の一人、草野さんはドムラ教室、関戸さんともう一人の参加者、中島さんは市内散策です。

 ドムラのヤンキナ先生が迎えに来てくれ、トロリーバスでハバロフスク州立芸術大学の教室に。

 ヤンキナ先生にはドムラの弦を抑える指使いからの基礎を教えてもらいました。私は神奈川の協会の教室を受講しているので、それほど難しくはありませんでしたが、そのことを知らない先生には、大変良くできたとほめていただきました。草野さんも最初は見学の予定でしたが、少しドムラを触って(音を出してみて)、興味を持たれたようでした。教室は1時間を少し超える程度で終わりました。

 その後、ホテルで関戸さんグループと合流したのち、ハバロフスクのメインストリート、ムラビヨ フ・アムールスキー通りに面したテッパンヤキ(тэппан・яки)というカフェーに向かいました。対外友好協会のゾーヤさんから、日本料理の展示会があるとのことで、誘われていたのです。ちょうどお昼時でもありました。

 そのカフェーは地階にあり、中はそれほど広くはなく、しかしこぎれいな店でした。展示会はすでに始まっていました。出された料理はご飯に巻きずし、てんぷら、惣菜といったものでしたが、味は違和感なく、普通においしいものでした。

 カフェーを出た後は、レーニン広場そばの本屋、次いで自由市場に立ち寄りました。自由市場は来るたびに変わっていました。昔の屋台のような店が、プレハブのこざっぱりした建物にどんどん置き換わっています。

 夕方にはホテルに戻り、その後はワゴン車でビールコップといういかにもビール飲み放題ができそうなレストラン(というよりビール酒場)に行き、夕食を取りました。但しビールの生ジョキデ乾杯はしましたが、飲み放題ではありません。今年の旅行は、夕食がついているので楽です。この夕食には、ガイドのタティアナ・ティーホンさんが同行しました。

■ 第4日目 8月8日

 昨日降っていた雨もやみ、快晴とはいえませんが、朝からすがすがしい天気でした。

 ダーチャ組が2日間のダーチャ生活を終えて、ホテルに戻ってきました。

 そのうちの4人とホームステイ組と合わせて8人が、「電車で巡るハバロフスク」に出発しました。

 まずは乗り物に乗らないで、 ホテルの近くの郷土史博物館を通り過ぎて、アムール河の展望台に向かいます。展望台の前には腕を組み、片足を前に出して、少しふんぞり返っている、ムラビヨフ・アムールスキーの像があります。展望台からはアムール河が一望にして見えます。この日のアムール河は、行きかう船が起こす波以外は波がなく、大変穏やかでした。

 その後教会広場(旧コムソモール広場)に向かい、アムール河に向かって降りていく、戦艦ポチョムキンで有名なオデッサの階段を狭くしたような階段を下りずに見て、ムラビヨフ・アムールスキー通りに入りました。入ったところで、アイスクリームの屋台が目に入ったので、みんなアイスクリームを食べつつ、初めて路線バスに乗り込みます。

 数分ほど乗って 降りたところが、スパソ・プレオブラジェンスキーという屋根が金色の教会の広場。そこから階段を下りて、栄光の広場に行きます。ここには沖縄の平和の礎のような、ハバロフスクから出身して各種の戦争で死んだ人の名前が刻まれた石の屏風があり、永遠の炎を取り囲んでいます。このあと戻って協会に立ち寄りました。建物の中は全くの空洞で、壁にはいろいろなイコンが掲げられています。

 協会の前から再びバスに乗り、次に路面電車に乗るために、線路を超えたバス停で降ります。そこで今度はクワースの屋台が目に入りました。今度もみんなクワースを飲んだことは言うまでもありません。気温が上がってそろそろ暑くなった頃です。そのような時に飲むクワースの味は格別です。

 そしてやっと路面電車に乗込みました。今までいい忘れていましたが、運賃は電車もバスも同じ、一律20ルーブルです。乗ると車掌のおばさんが取りに来ます。以前は14ルーブルほどと安かったのですが、徐々に値上がりしているようです。

 この電車に乗って、終点のハバロフスク駅まで行きました。駅前の広場には、ハバロフの像が駅に向いて立っています。時は12時を回っていました。

 駅の中には食堂があります。その食堂で食べるグループと、周りの屋台で食べるグループとに分かれて昼食をとることにしました。この食堂では、カウンターに並んでいる料理のうち、好きなものを選んで取り、最後にレジで支払う方式になっています。お昼時とはいえ、さほど混んではいませんでした。

 食事の後は、駅の見学です。日本と違って改札口というものはありません。ただし駅の建物の入り口には金属探知のゲートはありましたが。従って誰でも駅のホームに入ることができます。駅のホームは相当に長いです。列車も相当長いのですから。私達がいた時は、何本かの列車が並んでいましたが、いる間に発車した列車はありませんでした。動いているのは貨物列車を引っ張る電気機関車だけでした。実にのんびりしたものでした。

 ハバロフスク駅から再び路面電車に乗って、次に訪れたのはレーニン広場です。中央に大きな噴水がありますが、その時は噴水は残念ながら、出ていませんでした。その噴水の前で記念写真を撮り、またレーニン像を拝観したのち、ここで疲れたのでホテルに 戻るという5人と別れて、3人が次に向かったのはハバロフスクで一番大きな公園、ジナモ公園です。そこはレーニン広場からさほど遠くないので、歩いていきました。そこへのバスも走っていないこともあって。

 この公園には噴水がある大きな池が2段にわたってあります。夏の間、夜には壮大な噴水ショーが行われます。私たちはまずその池につきました。もちろん噴水はまだ出ていません。池のほとりにあるレストランの横で少し休憩。池のほとりでは、結婚式を終えたばかりのカップルと仲間のグループが記念写真を撮っているのが見えました。ハバロフスクではよく見かける光景です。

 休憩の後は、池から離れ、そこが街の中とは思えないような林というか山の雑木林のようなところを抜け 、ムラビヨフ・アムールスキー通りにつながるカールマルクス通りに出ました。そこからはホテルに帰る方向でしたが、途中レーニン広場の前の本屋に立ち寄りました。

 その本屋を出てからも、バスに乗らずに歩いて戻る途中、教会広場に差し掛かったころ、その協会から鐘が乱打されるのを聞きました。ちょうど5時になった時でした。それがやむまで聞いてしまいました。

 教会広場から展望台のほうに向かっていると、小さな野外ステージの方向から音楽が聞こえてきました。何かのイベントのようです。それは「МЫ РОССИЯНЕ」(私たちはロシア国民)と銘打った歌と踊りのフェスティバルのようでした。少しの間、それを見てからホテルに戻ました。

 戻ってからゆっくりする暇もなく、全員がチャーターバスでサクヴァヤージ(Саквояжь)というレストランに向かい、夕食を取りました。

 夕食が終わったのは7時ごろでしたが、まだまだ明るい時間です。決まった行事はないので、各自思い思いの過ごし方をしました。

 私は散歩に出かけ、先ほどの野外ステージのイベントを見ました。先ほどは子供が出ていましたが、この時は母親たちが歌を披露していました。遅くになってからは、何組かの男女ペアがタンゴを踊っていました。

~つづく~

(田中)

教室案内

横浜ロシア語教室 第123期 生徒募集中

 年明けは1月12日(火)より授業開始です。本年もよろしくお願いします。
 月曜~土曜、入門・初級・中級・上級・会話・演習の各クラス生徒募集中。
 既存クラスへの中途編入も可能です。
 見学3クラス・各30分以内まで無料。
 詳しくは教室ホームページをごらんください。受講お申し込み・お問い合わせは教室事務局まで。


補習サークル「ロシア語寺子屋」

 今学期もお忙しい受講生の皆様のロシア語学習のお手伝いを致します。
 ご希望の方は事前に教室事務局まで、日時と学習内容をご連絡ください。

第123期後半 学習支援予定日時
1月16日 (土)13:30~15:00
1月30日 (土)15:00~16:30
2月13日(土) 13:30~15:00
2月27日(土)15:00~16:30
3月12日(土) 13:30~15:00

ロシア民族楽器 「バラライカ」「ドムラ」教室

 毎月2回、土曜日に開講します。魅力的なロシアのメロディーを、ご自分の手で体感してみませんか?初めての方でも歓迎、楽器レンタルもご相談に応じます。

2015年度後期(後半)の予定:1/9, 1/30, 2/6, 2/20, 3/5, 3/19

生徒募集クラス
17:00~17:45 ドムラ初級
18:00~18:45 バラライカ初級

講師:北川 翔(バラライカ奏者、北川記念ロシア民族楽器オーケストラ主宰)
会場:横浜平和と労働会館5階
会員受講料(1回45分×6回分):3~5名クラス:24,000円、2名クラス:36,000円、1名クラス:54,000円


みなとみらいマトリョミン教室

 マトリョミンは他のどんな楽器とも違う、触らないで弾くという不思議な奏法がとても面白い楽器です。
 ワンフレーズ弾くぐらいなら触れたその日からでもOK。
 可愛さ、不思議さ、ロシアっぽさなどもさることながら、楽器としてのポテンシャルも非常に高く、弾く人の内面を如実に映し出します。
 会社や友人同士の集まりに持って行くと、話題性もパフォーマンス性も抜群で、注目の的です。
 一度、教室に遊びにいらっしゃいませんか。見学、体験も大歓迎です。

日程:毎月1回、土曜日開講

2015年度後期予定:10/24, 11/21, 12/19, 1/16, 2/20, 3/19

※レッスン日に見学随時可能です。発表会、協会行事等で演奏の機会もあります。是非お気軽にご参加ください!

◆アンサンブルクラス(90分)  13:00~14:30 (満席)
◆グループレッスン
 Aクラス 14:45~15:45 (満席)
 Bクラス 15:55~16:55 (空席1)

入学金:3,000円(継続の方、休学1年以内の方、当協会会員は免除)
受講料:アンサンブル3,600円×6回=21,600円、グループレッスン3,085円×6回=18,510円
会場:横浜平和と労働会館2階 神奈川音楽センター 音楽ホール
講師:平野 麻里(マトリョミン演奏家、指導者)

組織・財政

組織状況

(2015年12月31日現在)

 今年度年初会員数218名、入会者累計33名、退会者累計42名、休会者1名、12月末会員数209名。総会で決定した拡大目標年間70名の純増に対し現状は逆に9名の純減。
 もっと運動の視野を広げ、911万県民の中に活動を展開し、組織を拡大しましょう。

(柴田)

財政状況

NPO法人神奈川県日本ユーラシア協会2015/12/31
単位:円
摘 要本年度収入前年同期収入対前年同期増減
一般会計1,766,3812,179,278-412,897
教育事業8,668,5069,063,952-395,446
一般事業2,088,3883,010,192-921,804
合 計12,523,27514,253,422-1,730,147
前年同期(単位:円)2014/12/31
摘 要本年度支出前年度支出対前年同期増減
一般会計6,428,2118,041,875-1,613,664
教育事業3,455,9373,755,219-299,282
一般事業1,095,7042,071,675-975,971
支出合計10,979,85213,868,769-2,888,917
当期剰余金1,543,423384,6531,158,770
合 計12,523,27514,253,422-1,730,147

貸借対照表 (2015/12/31)
科 目本年12月末残高前年同期残高対前年同期増減
流動資産7,216,7715,892,6751,324,096
固定資産9,604,7759,604,7750
資産合計16,821,54615,497,4501,324,096
流動負債1229,159-9,037
固定負債000
負債合計1229,159-9,037
純資産16,821,42415,488,2911,333,133

 収入は前年比▼1,730,147円となりましたが、支出も▼2,888,917円となり、剰余金は1,158,770の増となりました。専従者配置の失敗で予算規模からは大幅に縮小しましたが、現在の状況の中では事務局、役職員、会員の皆様がよく努力された結果と評価できます。

 皆様、ご苦労様でした。

(柴田)

お勧め商品

文化・芸能

ユーラシア音楽芸能情報

Русская Десятка ロシア・トップ10

ロシア・トップ10  年の瀬で大忙しのロシアから、12月第4週のRussia Airplay Chart TOP10をお送りします。年の瀬に相応しい新曲ラッシュ、10曲中6曲が初ランクイン。

 7位にモトとビアンカの情熱デュエット«Абсолютно всё»(絶対全て)が入りました。厳寒のロシアのクリスマスを熱く融かすラブソングです。5位にドゥブツォーヴァの新曲«Люба-любовь»(リューバ・リュボーフィ)。ウクライナの音楽オーディション番組«Голос країни»(ホロス・クライヌィ)の優勝者アレクセーエフのデビュー曲«Пьяное солнце»(酔っ払った太陽)が4位にランクイン。心に留まる伸びのよいテノールでエモーショナルなバラードを歌っています。

 ヨールカの新曲«Грею счастье»(幸せを温めてる)が初登場1位!新年に相応しい方が首位を獲得しました。恋する貴方と繋がっている心を温めています。皆様も心温まる1年をお過ごしください。おめでとうございまーす!:-)

(チャート詳細と全文はこちらから)

(Tophit.ru, Russia Airplay Chart 2015年12月21~27日/MOPA)

セルゲイ・ラーザレフ、ユーロヴィジョン2016ロシア代表出場決定!

セルゲイ・ラーザレフ  2015年12月10日に国営ロシアテレビが開催したユーロヴィジョン2016ロシア代表選で、セルゲイ・ラーザレフ(32)が出場権を獲得した。

◆ 長年の夢

 ラーザレフといえば、子供音楽アンサンブル「ネポセードィ」や子供ユーモアショートドラマ「エララーシュ」で活躍、男性デュオ・スマッシュ!!でも大活躍し、現在もトップレベルのアイドルである、芸暦の長いタレント。しかし、'08年代表選でD・ビラーンやA・パナヨートフらに敗れたこともあった。当時のユーロビジョンは「若くて綺麗な新人歌手が上位を狙える」という傾向があったため、ラーザレフのような芸暦の長いタレントは、選考されなかったのだろう。歌手なら誰もが出場を狙いたい、ユーロビジョン。彼も同じく長く夢見ていた。

◆ 時代の流れが変わる

 2014年も新人が選ばれていたが、当時ウクライナ内戦に対するロシアの姿勢がユーロヴィジョンにも影響した。ロシア代表として出場した女性デュオが低得点しかもらえず、しかも観客からブーイングの嵐が巻き起こったのだ。

 翌年もまだ情勢は芳しくなかった。しかし音楽オーディション番組「ファーブリカ・ズビョーズド」出身で、既に中堅タレントとなっていた女性歌手ポリーナ・ガガーリナがその年に出場し、見事準優勝を果たした。ロシアが大会出場して以来の最高得点303pt、大快挙だ。

 傾向が変わった。チャンスだ、とラーザレフは思ったのだろう。

 ラーザレフがどこまで健闘するか、今年5月のユーロヴィジョンをお楽しみに。

*公式HP http://sergeylazarev.ru/
*画像(c) extranews.org

(MOPA)

映画・演劇

フェスティバル/トーキョー15 地点×空間現代「ミステリヤ・ブッフ」

11月25日 於:東京・にしすがも創造舎

「ミステリヤ・ブッフ」

「ミステリヤ・ブッフ」  マヤコフスキーの代表的戯曲のひとつ「ミステリヤ・ブッフ」。ミステリヤは″聖なる″、ブッフは″笑劇″の意味である。1917年のロシア革命が創作の動機となっており、労働者たちが方舟に乗って、地獄や天国をめぐり約束の地を目指すさまを描く祝祭的熱狂に満ちた作品。方舟のモチーフは、もちろん旧約聖書の「ノアの方舟」である。聖書ネタを笑劇にするのはいささか冒涜的な話で、民衆の猥雑なエネルギーを容易に想像できるのだが、「地点」の本作はオリジナルを一度分解し、洗練した形に再構築させている。音と光がふんだんな「プラグド」(電化は社会主義の理想の一つ)な演出は、この作品の初演を手掛けたメイエルホリドが観たらさぞ喜ぶだろう。

「ミステリヤ・ブッフ」  舞台は周囲を観客が取り囲むアリーナ形式。椅子を頭に載せた6人の男女が、バランスをとりながら二重の円台をぐるぐるとまわりセリフを叫ぶ。一人のセリフのしっぽをつかむようにして、次の人物が言葉をつなぐ。周囲の三か所にギター、ベース、ドラムを演奏する「空間現代」のメンバーが配置され、セリフに呼応するように大音量で演奏する。変拍子の曲は、むしろ効果音のように響く。そのうち一人が何脚もの椅子を頭に載せ、一人が宙吊りになり、ついには数人がマイクを奪い合って主張を語りだす。アリーナの中心部に椅子が次々と積み上げられると、爆音のように鳴り響く演奏とともに6人はその周囲を走り続ける。その様子は一人ひとりが持ち込んだ松明をキャンプファイアーの火柱にし、その周りを歌い踊るような不思議な興奮があった。マヤコフスキーが感じたロシア革命の熱狂もこのようなものだったのだろうか。

「ミステリヤ・ブッフ」  「ミステリヤ・ブッフ」に関し、時代に合わせて調整せよとマヤコフスキーは書いている。彼の希望どおり今回の「ミステリヤ・ブッフ」は、原作のところ7人ずつの「清潔な人々」と「不潔な人々」を6人に演じさせ、漂流する現代社会に合わせるかのように約束の地を理想として描かない。その分、言葉の意味以上に360度絵になるアリーナの役者たちの動きが刺激的で、21世紀の原初的な魅力に満ちた怪作となって甦ったといえる。

(文:滝沢 三佐子/撮影:山西 崇文)

催し物情報

弦楽合奏と合唱による2016年ニューイヤー演奏会
~ロシア正教会の府主教が作曲した、21世紀のマタイ受難曲で新年を迎えませんか?~
アルフェエフ(イラリオン府主教)「マトフェイ受難曲」

「マトフェイ受難曲」 日時:2016年1月30日(土曜)14時開演(13時30分開場)
会場:浜離宮朝日ホール 音楽ホール(都営大江戸線「築地市場駅」A2出口)
チケット:全自由席 1,500円
指揮:渡辺新
ソプラノ:中村初惠
メゾソプラノ:ヴァレンチナ・パンチェンコ テノール:黒田大介
バリトン:アレクセイ・トカレフ
福音史家:ユーリ・イリン
オーケストラ・ナデージダ/合唱団ナデージダ
※第11回ロシア文化フェスティバル2016 in JAPAN公式プログラム
※ウラディーミル・スピヴァコフ国際基金へのチャリティーコンサート
(音楽家を目指す若きロシア人の教育を支援。売り上げの30%が寄付金に送られます)

「マトフェイ受難曲」  オーケストラ・ナデージダは、ロシア・北欧作曲家による知られざる傑作の発掘・紹介を行うというコンセプトに賛同する音楽愛好家達が集まり、2008年に発足しました。現在5名のロシア人が団員として参加しています。来る1月30日、ロシア正教会の現府主教アルフェエフ氏が2006年に作曲した「マトフェイ(マタイ)受難曲」をニューイヤー演奏会の演目として取り上げました。誰にでも親しみやすい美しさと清らかさを併せ持つ当作品は、現在ロシアで最も歌われている合唱曲の一つであります。

「マトフェイ受難曲」  合唱指導は、歌手でロシア国立マリインスキー劇場研修所を修了された中村初惠氏。当団マエストロ渡辺新と中村氏のコラボレーションによる熱意に満ちた指導により紡ぎ出された美しい旋律が、弦楽の調べとソリストの圧倒的な歌唱と織り合いながら、皆さまを荘厳でかつ喜びに満ちた、新年をお祝いする場所へとご案内いたします。

チケット取り扱い・お問い合わせは
Eメール orch.nadezhda@gmail.com
電話090-8500-7029 (高橋:10時~19時)

ごはんで世界一周★~ウクライナ編~

 神奈川県日ユ協会ロシア語講師でもあるオクサーナ・ピスクノーワさんが、ウクライナの文化をご紹介します。
 文化に触れていただくための試食もあります。(調理がメインではありません)

日時:2月12日(金)10:30~13:00
講師:オクサーナ・ピスクノーワ
定員:16人
費用:1,000円(材料費込)
持ち物:三角巾(バンダナ)・エプロン・お手拭タオル
申込:往復はがきに ①行事名 ②住所 ③氏名 ④電話番号
を記入の上、主催の野毛地区センターまでお送りください。
※平成28年2月1日(月)必着
宛先:〒231-0064 横浜市中区野毛町3-160-4 野毛地区センター

※写真はよこはま国際フェスタ2015にて。中央がオクサーナさん。有名なウクライナ料理には、ボルシチ、ワレーニキ(水餃子)などがあります。

ユーラシア通信

21年ぶりの再会―東京ロシア語学院祭


 例年、12月の第一土曜・日曜は東京ロシア語学院祭が開催されます。関戸もここ20年以上、2日目の日曜には行くことにしています。今年も参加したのですが、その際にとてもうれしいことがありました。

 学院の3Fは飲食のコーナーで、1年生から3年生までの各学年と教職員が何かしらの料理や飲みものを出しています。関戸は、教職員のコーナーでペルメニとコーヒーを注文しました。そのとき、目の前に座っていた男性が関戸の顔をまじまじと見つめて、いきなり「関戸先生ですか? 大清水高校にいた……」と聞いてきたのです。「はい、大清水にいた関戸です」と答えると、「僕、2年生のときに教わった渡辺久三です」と言うのです。関戸が藤沢の大清水高校にいたときに教えた生徒だったのです。もう21年前のことです。17歳だった彼の面影がよみがえりました。「今、何してるの?」と聞くと、「物流の仕事です」と答えてくれました。何と、彼はこのロシア語学院の卒業生とのこと。大清水高校を卒業後、ブランクがあり、その後入学したのでした。その時には、お父様が貿易会社を経営され、ロシア・東欧相手に仕事をしていたとのことでした。その会社を継ぐためにロシア語が必要なので、学院に入学したと教えてくれました。ところが、彼が卒業するころにはロシア・東欧との取引が厳しくなり、やむなく会社をたたむことになったそうです。学院卒業後は、ロシア語とは関係のない仕事に就いたという話でした。関戸のことは4年前から学院祭で顔を合わしていたと言っていました。「遠くから見ていたので、間違ったら悪いと思って声をかけませんでしたけど、今日は目の前にいたので思い切って、声をかけたんです」と話してくれました。本当にうれしいことでした。

 その彼と一緒に、1Fのバザールや、2Fのコンサート・ロシア語劇を楽しみました。バザールでは、新しいルパシカを購入しました。2016年のヨールカ祭で着ますので、当日をお楽しみに。2Fのコンサートはユーラシアコーラスの調べが。河崎保夫人の美智子さんが指揮を取っておられました。語劇は1年生が『三匹の熊』、おなじみの作品ですね。3年生が短編小説『村の医者』、喜劇なのでロシア語の細かいところがわからなくても大いに笑えました。なんといっても、学院祭の一番の醍醐味はこの語劇です。3Fは飲食コーナーですが、午前中でほとんど売り切れ。せっかく、ボルシチやブリヌイをほおばりながら話をしようと思っていたのですが、できませんでした。「先生、来年も会いましょう」と言ってくれたときには教師という仕事をしていて、よかったと心から感じました。

 来年は、神奈川県連もバザーの品物や料理を持って参加したいですね。これを食べたい、あれも食べたいと思って来たのに売り切れでは残念ですものね。

(関戸)

投稿歓迎!この機関紙をもっと面白くしたい方へ。

 「日本とユーラシア」神奈川県版は会員みんなで作る機関紙です。もっと面白くしたい方、新しい企画を思いついた方、協会や機関紙について感想や意見のある方は、読むだけでなくぜひ投稿してください。

 ユーラシア関連ネタなら文章でも写真でも絵でも、ジャンルを問わず何でもOK。

 ただし全てボランティアで、自分のオリジナル、または権利者の許可を得たもの、著作権法に触れないものをお願いします。ペンネームや注意事項があればそれも忘れずに。

 文章は1記事800字以内が目安で、長ければ編集・分割して掲載する場合もあります。

 担当者に忘れられない限りボツになることもほとんどないので、今のうちがチャンスかも?

 原稿はメールやFAXや郵便で下記へ送ってください。締切は毎月末で、翌月15日頃に発行されます。投稿をお待ちしています!

(機関紙編集部)

歴史・社会

日露領土問題の歴史(30)

日ソ共同宣言署名場面  1956年10月13日から19日までモスクワで、日本国及びソヴィエト社会主義共和国連邦の全権団の間で国交回復に就いての交渉が行われました。

 日本国側からは内閣総理大臣 鳩山一郎、農林大臣 河野一郎、衆議院議員 松本俊一が参加し、ソヴィエト社会主義共和国連邦側からは、ソヴィエト連邦大臣会議議長 N・A・ブルガーニン、ソヴィエト連邦最高会議幹部会員 N・S・フルシチョフ、ソヴィエト連邦大臣会議議長第一代理 A・I・ミコヤン、ソヴィエト連邦第一外務次官 A・A・グロムィコ、ソヴィエト連邦外務次官 N・T・フェドレンコが参加しました。

共同声明公布への昭和天皇の署名  この交渉の結果「日本国とソヴィエト社会主義共和国連邦との共同宣言」が行われ、その第9条では領土問題に関し、「日本国及びソヴィエト社会主義共和国連邦は、両国間に正常な外交関係が回復された後、平和条約の締結に関する交渉を継続することに同意する。ソヴィエト社会主義共和国連邦は、日本国の要望にこたえかつ日本国の利益を考慮して、歯舞群島及び色丹島を日本国に引き渡すことに同意する。ただし、これらの諸島は、日本国とソヴィエト社会主義共和国連邦との間の平和条約が締結された後に現実に引き渡されるものとする。」と定められたのです。歯舞群島及び色丹島が「返還」でなく「引き渡し」であることに注目してください。この時点で日本政府は歯舞、色丹を除き国後、択捉を含む全千島列島の領有権を放棄してしまったのです。

 しかも、日本は1960年、日米安保条約を締結し事実上ソ連を敵視する米国の在日米軍基地の存続を受け入れ、これによって対ソ関係は悪化し、戦後70年を経過した今日に至っても平和条約が締結されず、歯舞、色丹も譲渡されないという事態が発生したのです。その間、両島には多くのロシア人が移住、定着、繁栄し、引き渡しを一層困難にしてしまったのです。時間が経てば経つほどロシア人の占有状態は質・量とも強固になり返還は事実上不可能になってゆくでしょう。これが日露領土問題の現状です。

続く

(柴田)