三角形の胴が特徴的な弦楽器バラライカ(英語:balalaika、ロシア語:балалайка=バラライカ)は、
数百年前からあるロシアの民族楽器です。
現在のバラライカは19世紀から20世紀にかけてV・アンドレーエフによって改良されたものが元になっています。
ナイロンとスチールの三弦を指で弾いて演奏します。
音域によりプリマ、セクンダ、アルト、バス、コントラバスまで5種類。
右手5本の指を駆使した様々な奏法が考案されています。
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後
2009年10月3日に行われたバラライカコンサートの模様が動画で試聴できます。下記リンクをクリックしてご覧下さい。
ロシア民謡「月は輝く」(演奏:北川記念ロシア民族楽器オーケストラ)
ロシアロマンス「再会」(演奏:バラライカ・北川翔、ギター伴奏)
ロシア民謡「カリンカ」(演奏:バラライカ・北川翔、ギター伴奏)
北川 翔 先生より
ロシアの民族楽器といえば、文豪、レフ・トルストイが「優しい女性の歌声」と絶賛した、三角形のバラライカ。語源はバラカーチ「おしゃべりする」で、プレクトラム(ピック)を用いず、指頭で演奏されます。
バラライカの父と呼ばれるV.アンドレーエフは、農民の楽器として貴族達から卑下されていたバラライカを、音域によって中、低音楽器として5種類の大きさを考案、開発し、1988年に開催した民族楽器オーケストラ・デビュー演奏会では、晩年のP.チャイコフスキー、ペテルブルグ音楽院を創設したA.ルビンシュテイン等に絶賛され、20世紀初頭(日ロ戦争の頃)には、欧米で空前のバラライカ・ブームを引き起こしました。そしてアンドレーエフが亡くなった1916年の翌年、レーニン革命が起き、時代はソビエト時代になります。革命後は、いわゆる社会主義国の賜物ともいえる英才教育によって、超技巧的な演奏家が、また、国家の保護により、多くの優れた作品が生まれました。
日本において、正統的なバラライカが普及しなかった理由として、複雑難解な演奏法が解明されなかった事、ロシア・レストランでの演奏などで、ジプシー的な間違えた解釈の音楽が氾濫してしまった事などがあげられるでしょう。隣国ロシアは、音楽はもちろん、文学、美術でも優れた芸術を生んできました。帝政ロシア時代、70余年にわたる旧ソ連の社会主義国家時代、そして混乱の新生ロシア時代と、様々な道を歩んできたロシアの民族楽器を、正しく、広く紹介できればと、心より思っています。
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ドムラ(英語:domra、ロシア語:домра=ドームラ)は
3本または4本のスチール弦と半球形の共鳴板を持つロシアの弦楽器です。
ピッコロからコントラバスまで様々な大きさのドムラがあり、それに伴って音域もソプラノからバスまで様々です。
下の写真は三弦ドムラ・マーラヤ(ソプラノドムラ)。
小さな爪状のピックを使い、トレモロを多用して演奏します。
民族楽器アンサンブルの主旋律を担当することが多くなっています。
(左)前 (右上)後 (右下)棹
起源と成り立ち
12世紀にモンゴルの侵入とともにロシアに持ち込まれたものと考えられています。
また、中央アジア生まれとも言われています。
オリジナルの楽器「ドムラ」は16~17世紀にスコモローヒと呼ばれる放浪芸人が使っていたものですが、
当時の教会とロマノフ王朝が「邪教の源になる」と徹底的に排斥した結果、完全に姿を消してしまい、
不鮮明な一枚の版画が残るのみでした。
現在のドムラは1869年にロシア民族楽器オーケストラの祖、ワシーリー・ワシーリエヴィッチ・アンドレーエフ(1861~1918)によって
半球形の胴のバラライカを基に改良されたもので、現在のような製法や奏法が確立したのは19世紀末以降のことです。
ソ連時代にはバラライカとともに民族楽器オーケストラの主要楽器となりました。
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