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ロシア文化


中世ロシア興亡史講義 ~歴代君主の素顔とその真実~ 862-1598
Лекции по истории средневековой Руси

第131回 ミハイル二世の死後

 ミハイル二世の非業の死からほぼ一年が過ぎ、大公ユーリー三世に対するドミートリーら兄弟たちの憎しみの気持ちも落ち着き始めると、ドミートリーの弟であるアレクサンドルはウラジーミルへ赴き、大公との間の「和解が成立した」。ユーリー三世は、アレクサンドルに父親の亡骸を引き渡し、1319年9月にミハイル二世は、自分の世襲地であるトヴェーリに安らかに埋葬された。

 ミハイル二世の子であるドミートリーら兄弟たちは、独力でモスクワに対抗することは到底難しかった。ドミートリーはやむを得ず、当時強力であったリトアニア公国の中で同盟者を探し始めた。そして、1320年にはリトアニアの大公ゲジミンの娘マリヤと彼は結婚し、リトアニアとの同盟を強めた。

 1321年に、大公ユーリー三世は大軍を率いてトヴェーリにあるカシンの町へ進軍した。というのは、カシンの人々が大公を避けて、汗国に対する借金を直接返すつもりでいたからであった。ドミートリーら兄弟たちは、ユーリー三世との会戦を回避することはできたが、和平は大公側の条件で結ばれることとなった。すなわち、トヴェーリの汗国銀2000ルーブリは大公に引き渡され、ドミートリーはウラジーミル大公国の大公の地位を要求しないと公約したのである。

 しかしながら、その後状況はドミートリー側に有利に動いていく。大公ユーリー三世はトヴェーリの2000ルーブリを汗国に送りもしなければ、それを汗国の使者に渡しもしなかった。復讐の機会を手ぐすね待っていたドミートリーは、1322年3月に汗国を訪れ、そこでウズベク汗に、大公がトヴェーリの銀を横領したことと、自分の父親の運命において彼が非難に値する役割をなしたことを告げた。ウズベク汗は、ユーリー三世を捕らえるために、使者アフムィラと特別編成部隊とをすぐさま派遣した。その一方、ドミートリーはしばらくの間、汗国に引き留められていた。アフムィラはヤロスラヴリへたどり着くと、ユーリー三世を探し出すためにノヴゴロドの地へ使者を送り、彼自身はすでにタタール軍の恒例悪事となっていた住民への略奪に取りかかった。

 ウズベク汗の命令を受け取ったユーリー三世は、諸事を脇に置いて汗国へ急いで向かった。すると、今度はアレクサンドルが行動を開始し、彼はウルドム川で大公の部隊を阻み、撃退し、金銭を奪い取った。アレクサンドルはユーリー三世の捕獲も試みたが、取り逃がしてしまい、ユーリー三世はプスコフへ逃走した。

 汗国では、トヴェーリの銀もユーリー三世の到着も待たずに、ウズベク汗が1322年の秋に、ウラジーミル大公国の勅書をドミートリーに渡した。その年の末にドミートリーはルーシへ帰還し、大公位に就いてドミートリー二世となった。彼らの後に続いて、ユーリー三世の弟イヴァン(後の大公)も汗国からルーシヘ戻ってきた。

 次回は「父と同じ運命をたどったドミートリー二世」。乞うご期待!!

 リトアニア大公ゲジミン
 http://www.turkaramamotoru.com/ruより

(文:大山・川西)

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