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ロシア文化


中世ロシア興亡史講義 ~歴代君主の素顔とその真実~ 862-1598
Лекции по истории средневековой Руси

第15回 ルーシの洗礼

ルーシの洗礼(ルーシの洗礼1000年を記念して描かれたペトロ・アンドルーシフの絵)

 ウラジーミルは、ビザンチン皇帝に対して果たすべき公約を実行した。彼は個人的に洗礼の儀式を受け、援軍として6000人の兵士からなるルーシの船団をコンスタンチノープルへ送った。

 妹を嫁に与えるという約束を交わしたとき、ビザンチン皇帝はそのような結婚の結果がいかなるものであるか、おそらく熟慮することができなかった――キエフからの軍事的助力を早急に求めていたのである。約束を遂行する時になって初めて、皇帝はアンナの将来の危険性に気づいた。というのも、ウラジーミルにはすでに5人の異教徒の妻と、彼女らとの間に、キエフ公位の継承権を持つ10人の息子がいたからである。キリスト教的観点からすれば、その息子らは法にのっとらないで生まれてきた子たちであり、公位に対するどんな権利も有しているはずがなかった。これはすなわち、アンナとウラジーミルの間に生まれるであろう子供たちと彼らとの間に、将来、戦いが避けられないだろうことを意味した。

 ビザンチン側は、ウラジーミルがそれまでの異教的結婚をすべて解消するならば、という条件でアンナとの結婚に同意した。これは、キリスト教にのっとったアンナとの結婚のみが唯一の合法的な結婚として認められることであり、キエフ公位はただ彼女の子供たちにのみ継承されることを確認する意味合いがあった。年長の息子たちにそれぞれの町を治めさせ、それによって自らの権力基盤を強固にしていたウラジーミルにとって、これは受け入れがたいものであった。ビザンチンに約束を果たさせるために、ウラジーミルは軍隊をコルスニへ進めた。その要塞都市は、黒海におけるビザンチンの覇権の砦であった。989年の初め、コルスニは占領され、ビザンチンはアンナ皇女をしぶしぶ“野蛮な”君主の嫁に差し出すこととなる。

 結婚式は、征服されたコルスニで行われ、その後、コルスニはビザンチン帝国へ返された。

イコン

 コルスニからルーシの地への帰途、大公の列の先頭にはイコンや十字架、聖遺物が掲げられ、道すがら入った村落では短い祈祷式が行われたり、聖歌が歌われたりした。キエフに到着したウラジーミルは、以前の妻たちに気前よく褒美を与え、彼女らに再婚を許して自由にした。おそらく、彼女たちはただ首都とその近隣に住むことだけが禁じられたと思われる。史料が伝えているのは、ウラジーミルの最初の妻であったログネダは、子供たちと一緒にどこかの片田舎の居住地に送られてしまった。

 ウラジーミルは住民たちの洗礼に着手した。その前日に、彼は町中に次のことを知らせるよう命じた。「明日、川にこなかった者は――金持ちであれ貧乏人であれ、乞食であれ奴隷であれ――我の敵となるであろう」と。キエフの住民はドニエプル川で聖なる洗礼の儀式を受け、多くの者がそこへ強制的に駆り立てられた。

十分の一税教会の復元図

 ウラジーミルは、教会組織の発展に当てるために、自分の大公としての収入や分領公の収入の十分の一を分けるように命じた。990年、キエフに、至聖なる生神女の名を冠する、ルーシにおける最初の石造の教会堂の建設が始まった。そこにはルーシ全土から、教会へ納める十分の一税が運び込まれていたので、またの名を十分の一税教会ともいった。

 次回は「ウラジーミルの息子たち」。乞うご期待!!

(大山・川西)


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