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ロシア文化


中世ロシア興亡史講義 ~歴代君主の素顔とその真実~ 862-1598
Лекции по истории средневековой Руси

第19回 ♪ブレイクタイム♪ ロシア正教とは?

アンドレイ・ルブリョフ 『三位一体』(1420年代)

 今からおよそ二千年前、イエス・キリストによって種まかれた福音は、地中海一帯に広まっていった。このキリスト教世界は11世紀を迎えると、東西両教会に分裂する。コンスタンチノープル総主教とローマ教皇はキリスト教界の首位権をめぐって争うようになり、ローマ教会がそれまで「父から」とされてきた聖霊発出を「子からも(フィリオケ)」とする「フィリオケ」問題を引き起こすと、対立は頂点に達した。1054年、東と西の教会は分離し、東の正教会と西のカトリック教会は道をたがえることとなった。正教会(オルソドクソス)とは「正しき信仰(オルソ・ドクサ)」を意味するギリシア語である。

 この正教の教えは、9世紀にブルガリア、次いで現ルーマニア、ロシア、セルビアなどの各地に伝えられた。ビザンチン帝国がオスマン・トルコによって滅んだ後、これらロシア・バルカンの正教会は、率先して正教会を支えていった。その後、各正教会は民族名を冠した独立教会として歩み始めるのである。

 カトリック教会では善行と喜捨により徳をつむことが救いの条件とされる。プロテスタント教会では信仰義認が重要とされる。正教では、信者は礼拝に参加してそこで神の王国を見、救いの体験をする。正教の礼拝は荘厳なものである。

ロシア正教の十字架

 正教とカトリック教会の神学の明らかな相違は、イコンにある。カトリック教会の聖像崇拝を正教は否定しているが、「イコンは聖像ではない」。それは、神の王国を写し出す窓であり、そこに描かれたキリストや聖人を信者は拝むのではない。イコンを通して永遠の神、永遠の王国に心を向けるとされる。

 ロシアでは正教を受け入れた後、聖堂の他に家庭の中にもイコンが置かれるようになった。

聖セルギイ修道院至聖三者大聖堂のイコノスタシス

 聖堂は、天井まであるイコンをはりめぐらされたイコノスタスによって、聖所と、さらにその奥の至聖所とに区切られる。至聖所は神の国、来世をあらわし、聖職者だけが入れる。その中心には、宝座と呼ばれる聖卓があって、そこには聖書と聖十字架が安置してある。宝座で進められるキリストの新しい過ぎ越しの食事を聖体礼儀と呼ぶ。聖所はこの世の教会をあらわし、信者が集まり立って礼拝する空間である。イコノスタスの真ん中には王門があり、来世とこの世をつなぐ門になっている。

 自分をはじめとして、自分が接するひとや、ものごとに十字架をかいて祝福する。

 自分に十字架をかくときには、ものをつまむようなかたちで、親指、人差し指、中指をあわせ、残りの薬指と小指をおるかたちにしてかく。三つ合わせた指は唯一の神である至聖三者、残りの指二つはキリストの神性と人性をあらわす。合わせた指のかたちから、神の祝福を思い起こすのである。

次回は「キエフに座したウラジーミルの子、ヤロスラフ」。 乞うご期待!!

(大山・川西)


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