ロシアの菜園付きセカンドハウス「ダーチャ」

 当協会が主催する2009年夏のダーチャ訪問ツアー終了後、ハバロフスクの新聞「太平洋の星」に関連記事が掲載されました。
 引率のライター・豊田菜穂子さんによると、「これまでロシアのメディアから受けた取材のなかで『やらせ度』ナンバーワンでしたが、参加者の皆さんは『これもひとつのアトラクション』のように受けとめて楽しんでいらしたようです。」とのこと。ロシアも随分様変わりしたものです。


我らがダーチャは日本人の憧れ

Наши шесть соток - экзотика для японцев

ダーチャ訪問ツアー

文・写真/A・サフチェンコ
訳・括弧内注釈/豊田菜穂子
ハバロフスク「太平洋の星」新聞
2009年8月22日(土)

 近年、日本の旅行者たちがハバロフスクのダーチャにやってくる。彼らの目的はただひとつ。数日間、ごく普通の菜園生活を送ることである。

 例えば東京から来た大学生、ナオさんがずっと夢見てきたことは、自らの手でニンジンを畝から引き抜くこと、作家の(豊田)菜穂子氏は裸足で木の床の上を歩きまわることだという(??)。

 七人の若い日本人たちは、先週末ハバロフスクのダーチャで、こうした夢を現実のものにした。

 ロシアのダーチャ住人たちは大喜びだ。日本人一行はジャガイモ掘りや草むしり、キュウリの酢漬けづくりを手伝うばかりか、そのためにお金を払うのだから。土地の狭い日本にはダーチャをもつ習慣がないため、異国の隣人たちは本物の“農園”を訪れ、ホテルの快適さとは無縁のところで蚊に刺されながら過ごしたがっているのだ。

 アムール河のほど近く、鉄道橋の対岸に位置する「パビエダ組合村」へのダーチャツアーは、ハバロフスク地方園芸家協会訪問から始まった。ユーリ・ウスチノフ協会長は、ハバロフスクの人々がダーチャでいかに仕事に励んでいるかをレクチャー。その後、日本人一行は移動してイチゴを植え付け。秋の祭日用のリンゴとアンズの収穫は、彼らにとっては大発見となった。だが何よりも感動していたのはジャガイモ掘りだ。そして見ものだったのは、興奮して真剣にイチゴをバケツに集めていたようす。地面には一粒たりとも残っていなかった! 三十分ほどで、旅行者たちは菜園じゅうを掘り返してしまいそうだった。

 「日本人はとても規律正しく、好奇心旺盛なんです。土に特別の思いをもっていますし」とダーチャの女主人リュドミラ・クラキナさんは語る。

 新参のダーチャ住人たちは、ロシアふうの日本庭園、テニスコート(卓球台では?)、本物のバーニャに驚き大興奮。喜々として腕まくりをしてボルシチづくりを手伝った。そしてほくほくのジャガイモとポリポリしたキュウリのピクルスを試食し、アムールの美しさに見とれ、雪が降るまでここに“お邪魔”していたいと望むのだった。

 「愛情をもって育てられたものには、よいエネルギーがしみこんでいます。このポジティブなエネルギーが人にも伝わるのです」と語る菜穂子氏(??)。彼女は日本でベストセラー(??)になった本『ロシアのダーチャ』の著者である。ハバロフスク訪問は四度目だという。

 「野菜栽培のためにロシアの土地賃貸を求める日本人からの届出が10件あります」と語るユーリ・ウスチノフ氏。(注:第一回ダーチャツアーで参加者が書き残した住所録のことらしい)「問題はありません。ここには空いている土地がたくさんありますし、所有ではなく一定期間であれば、ロシアの法律上、外国人にも土地を貸せるのです」。用地の所定手続きならびに分与地の提供は、氏によれば日本人にとって問題になるようなことはないという。問題があるとすればささいなこと。生まれたてのダーチャ住民が新しい場所に慣れるよう手助けすることだ。

 このアグロツアーを運営するハバロフスクの旅行会社アイリス・ツアー責任者エレーナ・マラホワさんいわく、今日の日本では、日出ずる国の住人たちが美術館や史跡のかわりに、当地の「600平方メートル(ダーチャ)」を訪ねるツアーが引っ張りだことのこと。世界的な金融危機のなか、ロシアのダーチャこそが、癒しのために土の上で働く、という日本人の理想とする休息のイメージに最も当てはまるものであったのだ。

 驚くべきことに、日本では農業志望者の多くが若者たちだという。これはどういうことなのか? 技術一辺倒の世界に対する“社会的反抗”の表れだ。

「私どもではごくごく普通のダーチャを選んでいます。大切なのは人あたりのいいホストであること、そして本物の庭と菜園があることです」とエレーナ・マラホワさんは総括した。

 なんとダーチャのカラオケで、日本人一行がロシアの歌を歌っている。よほど気に入ったとみえる!