大好評・第4回

大河アムール

大自然とふれあいの旅

期間:2002年8月12日〜16日[新潟空港発着]


第4回日本ユーラシア協会・ロ日協会ハバロフスク支部共同企画
主催:日本ユーラシア協会神奈川県連合会


参加費用(Aプラン及びBプラン表示)

Aプラン:128,000円(予価)

お一人部屋追加料金:10,000円(ホテル泊時のみが対象です。)

Bプラン:158,000円(予価)

お一人部屋追加料金:20,000円

※日ユ協会神奈川県連合会会員の方は神奈川県連合会から1万円の補助があります。


2つのプランからお好みのタイプをお選びいただきます。

Aプランとは:

現地4泊のうち、最初と最後の晩は市内ホテル泊ですが、中1日はホームステイ、残る1泊はサマーキャンプ場に宿泊します。
ホームステイ先のお宅は日本語が出来るとは限りません。多少ロシア語に覚えがある方や、言葉は話せなくても、 庶民の暮らしを知りたい方にお薦めのプランです。一軒に1名はある程度ロシア語の出来る人がつきますのでご安心下さい。
※最少実施人数:16名以上


Bプランとは:

4泊のすべてを市内ホテルを利用します。日中はAプランと同様のプログラムをお楽しみいただきますが、 夜はホテルに戻りますので、気がねなくお休みいただけます。
ホテルですから、当然シャワー設備、両替所、食堂などもありますから、Aプランよりも便利でゆったりしたプランです。
※最少実施人数:15名以上




日程案
日次都市名時間(目安)旅程概要
8月12日
月曜日


新潟発
ハバロフスク着


13時30分

15時30分
19時25分


新潟空港には各自ご集合いただきます。
(ご参加者の方々には、集合案内をお届けいたします。)
ダリアビア航空で空路ハバロフスクへ。
到着後、入国手続を経て宿泊先ホテルにチェックイン。
その後、お部屋にてお休みください。
(ハバロフスク泊)朝食X、昼食機、夕食X
8月13日
火曜日
ハバロフスク
滞在中
午前


午後

夕刻


Aプラン:朝食後、夕刻の集合時間まで自由行動。
Bプラン:朝食後、ハバロフスク市内観光。
昼食後、郷土誌博物館、ロシア正教会見学。
繁華街ムラビョフ・アムールスキー通り周辺にて自由行動。
Aプラン:ホームステイ先の各家庭へ。
Bプラン:夕食はロシア人家庭で。夕食後ホテルへ。
(ハバロフスク泊)A:朝食○、昼食X、夕食X・B:朝食○、昼食○、夕食○
8月15日
水曜日
ハバロフスク
滞在中
午前



午後



夕刻


Aプラン:各家庭からホテルに集合
その後、ハバロフスク対外交流協会館を訪問。会員同士の交流会(内容未定)。
その後、郊外にあるサマーキャンプ場へ。
ロシア式バーベキューランチ。
日ロ文化交流プログラムで日ロの親善をはかります(内容未定)。
日本風カレーライス作りに挑戦。
ロシアの子供たちと協力して美味しい夕食づくりを。
夕食後、キャンプファイヤーを囲んでの盆踊りを楽しみます。
Aプラン:キャンプ場に残ります。
Bプラン:ホテルへ。
(ハバロフスク泊)A:朝食X、昼食○、夕食○・B:朝食○、昼食○、夕食○
8月15日
木曜日
ハバロフスク
滞在中
午前
終日




夕刻



Aプラン:キャンプ場で朝食後、市内ホテルへ。
その後、自由行動となります。(ホテルの部屋は15時以降利用可)
Bプラン:朝食後、郊外観光でアムール河沿いに新たに完成した
北方少数民族ナナイ人の歴史と文化を紹介する屋内外博物館を訪問します。
(博物館見学、ナナイ民族舞踊、昼食付き)
その後、市内に戻り自由時間。
夕刻、市内に新たにオープンしたサーカスを訪問。
市内レストランにてさよなら夕食会を楽しみましょう。
お食事に合わせてロシア民族アンサンブルの歌声もご一緒に。
(ハバロフスク泊)A:朝食○、昼食X、夕食○・B:朝食○、昼食○、夕食○
8月16日
金曜日




ハバロフスク発
新潟着


10時00分
11時00分


14時10分
14時05分


朝食後、ホテルをチェックアウト。
空港への途中、日本人墓地の一つに立ち寄ります。
(よろしければお花やお線香をご用意ください。)
*空港到着後、空港施設使用券を各自ご購入ください。(23ドル相当の現地通貨ルーブル払い)
ダリアビア航空にて、帰国の途につきます。
到着後、帰国の手続を経て空港にて解散します。(予定)
各自、ご自宅への帰途にお付合いください。
         朝食○、昼食機

*上記旅程は航空会社、受入れ機関の都合により変更される場合があります。

ご参加資格

今年で4回目となるロ日協会ハバロフスク支部との共同企画、企画から募集までを一貫して行っている のが日本ユーラシア協会神奈川県連合会の熱心な会員、役員です。したがいまして、この交流の旅にご 参加いただきます場合には日本ユーラシア協会に加入していただくことが参加資格となります。
日本ユーラシア協会(旧・日ソ協会)はソ連が成立する以前から一世紀近く、両国民の草の根の交流を 行ってきた人々の歴史と伝統を引き継ぐ民間団体です。本部は東京都にありますが、北は北海道から南 は九州まで各地に連合会・支部がありそれぞれ特色ある活動を行っています。
今回の旅は数ある日ユ協会各連合会・支部の中でもひときわ若々しく、元気な神奈川県連合会が主体と なって企画・運営されています。すばらしい仲間がたくさんいます。
未だ会員でない方もどうぞこの機会に日本ユーラシア協会神奈川県連にご入会ください。大歓迎です。
なお、神奈川県連合会の会員参加者に対してはお一人1万円の参加費補助を行います。他連合会・支部 会員の方々には超格安(通訳もガイドも熟練の会員・役員がするため)ではありますが表記の参加費を 申受けますので、あらかじめご承知ください。


第1回旅行参加者の皆さん


参加費以外に要する費用

@現地ロ日協会活動協力金:Aプラン参加の場合:50ドル
                 :Bプラン参加の場合:15ドルをそれぞれ現地にてお納めいただきます。
Aロシア観光査証料・実費:5千円
B渡航手続代行料金    :4千円
C本邦内交通費(新潟空港集合となりますので、ご自宅から空港までの交通費は含まれません。)
Dハバロフスク空港税   :約23ドル相当を現地にてルーブル払いしていただきます。
Eその他個人的と思われる費用、クリーニング代、電話・通信費、チップなど。






2001年度旅行

 2001年度の旅は8月13日(月)〜8月17日(金)に実施されました。以下は写真と参加者の感想文です。
やって来ましたハバロフスクへ

ロシア文字での初めてのお習字

始まりました!折紙教室

レストラン「ルースキー」で

帰りの空港で「美女4人に野獣1匹」

帰ってきました新潟空港へ


「ハバロフスク旅行に参加して」     戸田邦子
柴田様、清永様、関戸様、素晴らしいハバロフスクの旅をどうもありがとうございました。
帰宅し、荷をほどいても初ロシア旅行の興奮は冷めず、買ってきた楽譜や本を眺めるのは喜びです。
ご迷惑を多くおかけしたかと思いますが、いつも親切にして頂き本当に感謝しております。
またお目にかかれますことを楽しみにしております。


「忘れ得ぬ街 ハバロフスク」     山田妙子
 去年に続き2度目のハバロフスク行きでしたが、彼の地は、豊かな緑とゆったりした時の流れ、暖かな人々の 微笑みで私たちを迎えてくれました。
空港からホテルに行くバスで、通訳のターニャさんの顔を見たとたん懐かしい従姉妹に出会ったような気分に なったことを思い出しました。
「去年とは街が変わりましたよ。」と言うターニャさんの言葉をその時は聞き流していましたが4日間の滞在中に 「なるほど」と実感しました。一言で言えば街はすっかりきれいになっていました。でこぼこだった歩道は舗装され、 建物の外観が補修されたり建築中の物があったりと、めざましく変貌しています。去年目についた浮浪者は 街頭から姿を消していました。
しかし、変わらないのは自然と人々の暖かさです。これがハバロフスクに引き付けられる要因ですから、街がどんなに 変わってもいつまでも変わってほしくありません。
 今年は自由行動日が加わったので、各人の選択の幅が広がりそれぞれに楽しめたのが、何よりでした。私は去年出会った ナターシャさん親子と散歩や買い物を楽しみました。日・露・英の三か国語の飛び交う会話など初めての体験です。 この時ばかりはロシア語のできる佐々木さんや福島さんが羨ましくてなりませんでした。
キャンプ訪問も、ただ見学していた去年と違い、今年は全員がなにかしら子供たちと関わったり作業したりで、一段と 交流が深まったように思います。汗だくでカレー作りをしたことも、今夏の大きい収穫です。瑞穂さん・豊造さん・ 内田さん・清永さん・暑かったけど楽しかったねえ。
 私たちは充分に満足した旅でしたが、その分、事務局の方々のご苦労は大変だったと思います。
柴田さんはいつもゆったりしておられるようでいて、常に全員に目を配って下さりとても安心でした。ご一緒に街で 食事したり買い物した時のこと忘れません。これからも、いつまでもお元気で神奈川県連の大黒柱でいらしてください。
清永さんにはみんなどれほどお世話になったか知れませんね。食事もゆっくりとれなかったのではなかったでしょうか。 今年はいろいろご一緒できてとっても喜んでいます。
関戸さんにも本当にお世話になりました。あなたはどんな時でもゆったりと安心してお任せできるおおらかさをお持ちです。 軽口の対象にしてはいましたが、みんな本心はあなたを信頼しきっていました。
 本当にありがとうございました。心より御礼申し上げます。
 私にとってハバロフスクはもはや忘れ得ぬ懐かしい街になりました。また、機会があればぜひ行ってみたいと思っております。


「ハバロフスク旅行に参加して」     保坂匡聡
 僕は色々な国に行ったけど、あんまり人との交流がなかった。今回の旅行は交流が目的の旅行だったので、いつも以上に 楽しみにしていました。どこの国に行っても遺跡や建物を見てもすぐに忘れてしまうのに、どんな人々に会ってどんな 話をしたのかは今でも憶えています。
 僕はロシアの旅行に行くのは初めてでした。図書館で本を読んでいたときに、たまたまロシアのことが書いてあるのを 目にしました。ロシア人は客好きで親切であると書いてありました。でも僕の周り人々はロシア人は冷たい、暗いと 言っていました。でもイスラエルに旅行に行った時にイスラエルに住んでいるロシア人と友達になりました。 とても親切な人でした。それからロシアに行ってみたいと思いました。
 ロシアに行って、街を見てびっくりしました。こんなに街が美しいとは思いませんでした。あと人々も親切でした。 僕がロシアの本をたどたどしく読んでいると、横から親切なおばさんが読んで、それに続いて僕も読みました。 正しいロシア語のアクセントが少しわかりました。
 あとキャンプ場で子供達と遊んだり、話したりしてとても楽しかったです。子供達と一緒にいると心がなごみました。 日本の子供とは較べものにならないほどかわいかったです。子供達は僕にロシア語を教えてくれたり、僕が 道に迷っていた時も一緒について来てくれました。とても人に対する気遣いができると思いました。僕は彼らから 色々な事を学びました。
 こんなにロシアがいい所だとは思いませんでした。また、来年も行きたいです。まだまだ書きたいことはありますが これでやめときます。


「2001年「日ロ交流の旅」に参加して」     小西良子
 アムール川岸にやって来た時、突然中学3年生の頃の事を思い出しました。クラス対抗の合唱コンクールです。 私たちのクラスは自由曲に「アムール川」を選んだのです。その歌詞の中にこんなフレーズがありました。
  波 さかまきて あふれ来る・・・・
その歌は荒々しい川のイメージでした。その頃前後して
  五月雨をあつめてはやし最上川
という芭蕉の俳句を習ったのですが、私のイメージとしてアムール川と最上川が同じような規模のものであるという 情報がインプットされていました。ところが今私の目の前にあるのは穏やかで湖のような川です。しかも岸では人々が 泳いでいます。それを見てなんだか自分がずっと勘違いしてイメージしていたということに少なからずショックを受けました。 −−−−−私の記憶は再び中学3年生に戻ります。確かクラスの友人が「アムール川は黒いんだって」そんなことを 言っていました。本物は黒くはありません。では何故そんな話になったんだろうと川岸を歩きながら考えていました。 そんな時にこの川が別名黒龍江だというのを聞き(確かに高校1年の地理の時間に習いました)謎が解けました。 黒い龍のような川、つまり黒くて荒々しい川という意味だったんだということ。今もそうかもしれませんが昔はひどく 氾濫したのではなかったのでしょうか。それにしても中学3年の時にはまさか自分が実際にここに来るなんて 思ってもみなかったでしょう。多分つい2〜3年前迄は。
 ですから私がアムール川に行ったんだ、ということは自分にとってものすごいことであったと今実感しています。 ましてそのほとりの町ハバロフスクで現地の人々と交流が出来たなんてすごいことなのです。
 苦労しながらも娘3人を育ててきたホストファミリーのカザコーヴァさん、突然来訪して来た私たちを 快く受け入れて精一杯の歓迎をして下さいました。
 キャンプ場「オケアン」の人達やロ日協会の職員の方、またたどたどしいロシア語で説明する私の話を一生懸命に 聞いてくれた街の人々、臨機応変に対応して下さった現地ガイドの方など、このプログラムが大勢の手で成り立って いるということは決して忘れてはいけないのです。そしてこの記憶はプログラムの成功にご尽力頂いた日ユ協会の スタッフの皆さんと一緒に参加された方々との経験として、ずっと心の中にしまっておきたいと思います。



2000年度旅行

 2000年度の旅は8月11日(金)〜8月14日(月)に実施されました。以下は写真と参加者の感想文です。
悠々と流れる大河アムール

レストランにて

民族アンサンブル「ラーダスチ」の歓迎

盆踊り交流会

サマーキャンプ「ドゥプキ(柏)」にて

家庭訪問先のご夫妻と

日本人墓地への墓参り






 第2回「大河アムール・大自然とふれあいの旅」に参加して
                   保田 政枝
 定刻にハバロフスク空港に到着、まず驚いたのは荷台の鉄部分が錆びたボロトラックがのんびり荷物を取り出しに来た。
 待合室では旧友との再会に抱き合って喜びあい、釣鐘にんじんの花束も印象的であった。
 帝政時代から培われた文化遺産、建物の重厚さ、町並の品格、道幅の広さ、ゆったりとしたアムールの流れ、 体験しなければ判らない。ホテル・レストランのリネンの手触り、紅茶の美味しさには歴史の深さが感じられる。
 ロシアの極東の中心都市と聞いたが、若い女の人達の美しさにはびっくり、多民族の故か親しみを感じる。
 家庭訪問先、コワレンコ・オレッグさん、リュドミラさん夫妻宅はハイレベルの家庭だった。 自動車関係のエンジニアとか、一人息子は新潟医大に留学中、ご夫妻の心のこもったおもてなしに 言葉は通じなくても心のふれあいを感じ、民際外交とはこう言うことなのだと納得した。
 平和条約が一日も早く結ばれ経済・科学・文化の自由な交流が出来、蛇口からきれいな水が出ることをねがいつつ・・・
 千宗室家元の「一わんからピースフルネス」を実践出来た事も感謝している。バタフライの羽ばたきが 対岸に届く事を祈って心をこめて一服さしあげた。
 柴田団長始め、事務局の関戸さん、清永さん、そしてお仲間の皆様、母娘孫まで貴重な体験をさせて 頂き、ありがとう御座いました。


 「ロシアの大自然に触れて」
            芹沢 康子
 今回のロシア訪問は私にとって新鮮な驚きの連続であった。ツアー出発前は、ソビエトの社会主義体制が崩壊し、 資本主義市場経済体制への変換に伴う経済の混乱によって人々の生活は困窮の極みにあると想像していた。


 たしかに給与の欠配や遅配など人々の経済状態には厳しいものがあるように見受けられたが、ダーチャなどで 農作物を自給するなどロシアの人々の大地に根ざした骨太の逞しい生活力には、ある種の感動さえ覚えた。
 ところで、今回のツアーに新しく加えられた「サマーキャンプ訪問」については、教師という職業意識も働いて 興味を持って参加することができた。学生時代は「野外レクレーション研究室」に所属し、「教育キャンプ」や 「自然の教育的意義」などについて学んだことがあるが、今回のサマーキャンプ訪問はそうした私の原点に戻る きっかけを与えてくれたように思われる。
 「ピオニール」とは英語の「パイオニア」(開拓者)に由来すると聞いたことがあるが、ピオニール・キャンプは ソ連時代にはピオニール宮殿や自然の豊かなキャンプ・ラーゲリーなどにおいて盛んに実施されていたと学んだ 記憶がある。現在はその実施形態も変化してきているようであるが、子ども達の生き生きとした表情を見ていると、 ロシアの未来も明るいものがあると確信した次第である。
 日本でも「自然とのふれあい」や「体験学習」の必要性が論議されているが、このロシアにおけるサマーキャンプを 訪問して、その感を一層強くしたところである。
 いつの日にか日本の子ども達と一緒に、自然の豊かなロシアをもう一度訪問したいと思う。




 「一期一会」
      三重野 恵紀子
 今回の旅行に参加する迄、どの位頭を悩ましたか・・・連休をどうするか、貴重な休みをどのメニューでやるかが 先だった、やることが沢山ある私としてはこの体験ツアーも魅力だった。まして好きなロシアも見たいし・・・ 悩んだ末、やはりこのアムール旅行に決めたのだった。
 「さあ、行くからには日本を代表して何でもやらせていただきます。又その経験から私自身が何かを得、感じたら 人生にプラスになるであろう。」と決意しまして行って来ました。思っていた通り、人々は大変暖かい人ばっかりで、 参加メンバーもその通りでした。
 他のツアーにないスケジュールが良くって、お金を払ってでも体験できないであろう予定がとてもとても良かった。 特に「盆踊」「団扇」「浴衣」「茶道」がすごく良かったです。参加メンバーがそれぞれに力を発揮されての成功でした。 子供達も上手に踊ってくれ、「もう一度」と袖を引っ張りせがむ姿も見られました。
 TVなどではよく見ていましたが、本当の日本人墓地に詣でる体験も私には初めてでした。また、メンバーの知人 という方のお墓では、私も日本の水を差し上げました。静かに眠っている方も、さぞかし久し振りの「水」と 喜んでくれただろうと思いました。丁度、日本の終戦記念日の一日早い日だったので特に感慨深いものでした。 こういうのは続けてもらいたいと思いました。
 駅でお逢いした方、バスの運転手、街行く方々、広場での結婚式姿の方、レストランの女性、歌を歌って下さった方々、 訪問の家族の方々、私には皆々様にもう一度お逢いしたいけれど、二度と逢うことは皆無いと思うと本当に切ない・・・ 又、今回の19名のメンバーとも・・・このメンバーと再びこのコースを・・・なんてないでしょうから・・・
 「一期一会」の言葉を思い出しました。





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