今月の表紙

特定非営利活動法人神奈川県日本ユーラシア協会機関紙「日本とユーラシア」

2018年1月号 No.675

行事予定

新年会「ヨールカ祭2018」1月21日(日)横浜市従会館で開催

ヨールカ祭  横浜の「ヨールカ祭」はいつも100人以上が参加する当協会の楽しい新年会です。2018年度は1月21日(日)13:00~16:00、横浜市従会館で開催します。 詳細はチラシ(PDFファイル)をごらんください。1月18日(木)までに要予約。参加お申し込みは協会事務局まで。


ヨールカ祭 ボランティアスタッフも募集中!

 ボランティアスタッフも大募集中です。ロシア料理の「ボルシチ」や「毛皮のコート(外套)を着たニシン」(写真下)など、このパーティーでふるまうご馳走を一緒に作ってみませんか?

 前日(20日)、当日(21日)のボランティアをすれば充実感で楽しさ倍増!前日の調理ボランティアはヨールカ祭の参加費が無料になります!当日は9:00から準備できる方は参加費半額!ぜひ、奮ってご応募ください!

Tel/Fax 045-201-3714
eurask2@hotmail.co.jp

ヨールカ祭ボランティアスケジュール(案)

毛皮のコート(外套)を着たニシン ◆1月20日(土)13:00~ 横浜平和と労働会館5階・当協会教室でロシア料理の調理/物品の準備など(都合の付く時間帯でもOKです)

◆1月21日(日)9:00~ 横浜平和と労働会館1階集合・荷物運搬/横浜市従会館4階ホールで会場設営・装飾・料理準備/13:00開会・料理提供開始/16:30~17:00撤収・運搬/17:00~協会事務所・教室での片づけ

ヨールカ祭参加お申し込み・お問い合わせとボランティアのお申し出は下記へお願いします。
神奈川県日本ユーラシア協会事務局
(平日・土曜12時~18時。日曜祝日休)
Tel/Fax 045-201-3714
eurask2@hotmail.co.jp

現代ロシア映画鑑賞会 2月12日開催!
「ロック&ロール たった2匹の強盗撃退最強ミッション!」

ロック&ロール たった2匹の強盗撃退最強ミッション!  2018年は戌年。ロシア版「ホーム・アローン」はワンコが主役!イヌ好きもそうでない人も、ドタバタコメディを楽しみましょう。

 (今後のラインナップ:「ロシアンスナイパー」「草原の実験」「アフガン」「ヴァンプス」「スペースウォーカー」「ベアーズキス」など。ジャンルにとらわれずあらゆる現代作品を鑑賞していきます)

日時:2018年2月12日(月・振替休)14時~
場所:横浜平和と労働会館5階教室
飲み物代:500円
観賞作品:「ロック&ロール たった2匹の強盗撃退最強ミッション!」(邦題)
原題:Ёлки лохматые(ロシア、2016)日本語字幕 90分

お申し込み・お問い合わせ:
神奈川県日本ユーラシア協会事務局
Tel/Fax 045-201-3714
E-mail eurask2@hotmail.co.jp

旧ソ連音楽映画の名作・歌声喫茶発祥の契機
「シベリヤ物語」DVD上映会 2月25日開催

 2018年は『シベリヤ物語』が日本で上映されてから70年の節目の年です。制作は1947年ですが、日本公開は翌年の1948年でした。まだ日本中に戦争の傷が残り、東京も横浜も焼け跡だらけの頃です。

 映画は戦後の復興をイメージさせるものでした。ピアニストを志していた青年が、独ソ戦でピアニストにとって命である手を負傷し音楽への夢をあきらめながらも、再起するまでを描いた音楽映画の最高峰といわれる作品です。日本のうたごえ運動の中で、「うたごえ喫茶」は大変重要な位置を占めています。多くの人々が一つの場所で歌い、聞き、笑ったり、涙したりといううたごえ運動のルーツがうたごえ喫茶なのです。日本にそのうたごえ喫茶をもたらすきっかけとなったのが、今回上映される「シベリヤ物語」なのです。日本初公開当時、反ソ的であると削除されたシーン約13分を完全復元しての上映となります。

 映画をご覧になった方なら誰でも記憶している「バイカル湖のほとり」、それは冒頭とバイカル湖上の二つのシーンです。これを見て、聞くだけでも価値あるものです。もし、よろしかったら「バイカル湖のほとり」を参加者みんなで歌ってからの鑑賞にしたいと思います。うたごえ運動に携わった方々のご参加を心からお待ちしております。

 音楽映画の最高峰であり、日本におけるうたごえ喫茶の発祥ともなった「シベリヤ物語」鑑賞会に是非おいでください。

(関戸)

日時:2018年2月25日(日)14時~
会場:横浜平和と労働会館5F教室
参加費:500円(黒パン・お茶代)

お申し込み・お問い合わせ:
神奈川県日本ユーラシア協会事務局
Tel/Fax 045-201-3714
E-mail eurask2@hotmail.co.jp

活動報告

「望年会」は会場も卓上も溢れんばかりの大賑わい!

望年会  2017年12月16日(土)、徳永晴美講師のロシア語特別ゼミ終了後に同じ会場で望年会が開催されました。

 ロシア語教室の新入生徒や徳永特別ゼミの受講生が多く、会場は座りきれないほどの多くの参加者が集まり、大変にぎやかな会になりました。

 持ち寄り大歓迎との知らせに、思い思いの料理やお菓子が並びました。手作りのものも含めて、テーブルには一度に置ききれないほどの豪華さ。ワインで乾杯ののちには、スタッフ手作りのブリヌイに好みのものを巻き込んでパクリ。歓談に楽しい時を過ごしました。

 一人一言では、ロシア語学習のきっかけや望年会の感想など。講師・生徒が教室ぐるみで参加してくれたので、励ましの言葉も多くありました。

 また、徳永先生の軽妙洒脱なお話には笑いが絶えませんでした。今、関戸も私立中学高校で教壇に立っています。何十年かの後には徳永先生のように多くの生徒や教え子が何かあれば駆けつけてくれるような、そんな教師になりたいと感じました。徳永先生のエピソードに満ちた楽しい話や多くの参加者の喜びの顔にあふれた素晴らしい望年会でした。

 この望年会の勢いそのままに2018年を明るく楽しく迎えたいと感じました。

(文・関戸/写真・野口)

山之内重美さんと歌おう!5階カフェでピロシキを!
第1回国際平和友好フェスティバル開催

山之内重美さんと歌おう!  12月10日(日)、神奈川県日本ユーラシア協会が事務所を構えている横浜平和と労働会館の「会館まつり」が行われました。今年は、協会も構成団体になっている神奈川県平和国際友好団体連絡会(平友連)が「第1回国際平和友好フェスティバル」を「会館まつり」の中で合わせて実施することになりました。

 同フェスティバルのメインは、2時40分から2階音楽ホールで開かれた「山之内重美さんとロシア歌謡を歌おう!」と、5階ロシア語教室に開店した「世界友好カフェ」です。他の友好団体でも、日朝協会は、1時30分から2階音楽ホールで韓国太鼓チャンゴ演奏と4階食事コーナーでチヂミの販売。日中友好協会は4階で、紹興酒と餃子を販売しました。

 5階「友好カフェ」は、ユーラシア協会がボルシチ、ピロシキ、ウォッカ(20ml)を100円で、グルジア・ロシアワインを200円で提供しました。当初はカフェなので来店客は少ないだろうと予想していましたが、予想以上の人が押し寄せ、一時はパニック状況になるほどでした。人気はやはりピロシキで、開店2時間以内で売り切れてしまいました。このピロシキは野口先生や加藤さん、中村さん、エレーナさん、ナターリヤさん、クリスチーナさんが朝9時から作ったものです。

 2階音楽ホールでの「山之内重美さんと歌おう!」が惜しまれながら終了後、5階カフェで、その続きをやりたいと集まった人たちが佐野さんのキーボード伴奏で「ロシア歌謡うたごえ」が始まりました。山之内さんも加わり、夕闇迫る4時30分まで歌声が響きました。

 カフェ店員には川北さん坂本さん関戸さんになっていただきました。

(店長・木佐森)


山之内重美さんと歌おう!  2017年12月10日(日)は、例年より遅い会館まつり。今年は5Fは平和友好団体のカフェ。そして、2Fのイベント会場では山之内重美さん・安達紀子さんのロシアの歌と佐野真澄さんのピアノ。

 カフェはお昼時はお客さんに席が空くのを待ってもらうほど盛況でした。お手伝いの方たちも汗びっしょりになって、調理や接客にてんてこ舞いでした。関戸は当日だけの参加でしたが、店ではウェイターを買って出ました。メニューの値段は格安で、これが盛況の原因かも。お得感でお客さんが次から次へとやってきました。人が集まる行事では、いつもこのようなカフェができれば素晴らしいことです。

 そして、素晴らしいのはカフェだけではなく、イベント会場でもそうでした。うたごえ運動に関係している人が多くいたので、ロシアの歌は皆さん大好き。時間になって安達さんと佐野さんはスタンバイしましたが、肝心の山之内さんの姿が見えません。後で知りましたが、渋谷駅で人身事故があり、電車が不通だったとのこと。やむなく、安達さん・佐野さんと歌えるものを始めました。会場の皆さんと一緒に「カチューシャ」、「バイカル湖のほとり」、「赤いサラファン」、「ともしび」、「モスクワ郊外の夕べ」などをロシア語と日本語で歌いました。その際、ロシア語の歌詞が日本のうたごえの中では、正確に訳されていないことなどを話しました。会場のうたごえ関係者からは、「じゃあ、ロシア語を勉強しないとダメね」との声もありました。その場で、2018年2月25日(日)の『シベリヤ物語』上映会に参加を決めてくれる方もいらっしゃいました。

 そして、山之内さんの登場。全体の進行の時間の関係で、歌は「一週間」と「心さわぐ青春の歌」の2曲しか歌えませんでした。けれども、旧ソ連時代は宗教が禁止されていたので、「一週間」の日曜日はミサに行くという部分を変えていたことなどの知らないエピソードには皆さんビックリ。また「心さわぐ青春の歌」はシベリヤ出兵の際、日本軍の包囲網を突破していく二人の赤軍兵士の姿を描いた歌だという話も初めて聞いた人がほとんどのようでした。ロシアの歌は日本にも関係があるという認識を得ました。時間があれば、もっとたくさんの歌や話を楽しめたと思います。

 カフェは大忙しで汗びっしょり、イベントは主役不在で一時は冷や汗ものでしたが、楽しく過ごした一日でした。

(関戸)

ロシアの美しい音色を堪能
バラライカ&ドムラ教室体験レッスンと
「北川記念ロシア民族楽器オーケストラ」ミニコンサート

ミニコンサート  2017年11月4日(土)、三連休の中日に上記の催しが行われました。

 当協会で開講しているバラライカ・ドムラ教室の講師でもあるバラライカ奏者の北川翔さんと北川記念ロシア民族楽器オーケストラ、当協会教室受講生の皆様によるコンサート。日本ではあまり馴染みのない三本弦の楽器、バラライカとドムラの音色が会場に美しく響きました。また、日本の琴に似た「グースリ」とアコーディオンに似た「バヤン」も加わり、ロシアの民族楽器大集合という感じでした。

 教室生徒の「行商人」の演奏から始まり、アンサンブルメンバーの「モスクワ郊外の夜は更けて」と続き、北川先生の「カリンカ」。合間に、北川先生のロシア留学の話や、バラライカの話。バラライカはその演奏人口が極めて少ないこと。だから、上手下手は関係なく、やっているだけで希少価値があることがわかりました。実は、関戸も以前にラリーサ・ゾロトワ先生にバラライカを教わったのです。その話を聞いて、再びやろうかと思いました。

 そして、演奏はすべての楽器が加わり、「G線上のアリア」、「君をのせて」、「ララのテーマ」、「月は輝く」とお馴染みの曲が続きました。『徹子の部屋』に出演した際、黒柳徹子氏からも「ララのテーマ」のことが話題になったとのこと。ところが、北川翔先生自身は映画「ドクドルジバゴ」はまだ未鑑賞というエピソードも。

体験レッスン  北川翔先生の祖父である北川剛先生はシベリヤ抑留体験者。北川剛先生はラーゲリの中で、日本の童謡や唱歌を演奏しました。家族や故郷のことを思い出し、目に涙をためて聞いていた兵士もいたそうです。関戸の父もそうでした。北川剛先生は、「一緒に日本に帰ろうな」と多くの兵士を励ましたそうです。時として、音楽は生きる力にもなるのでしょう。そんなことも話しながらのコンサートでした。

 コンサートの後は、会場の皆さん自ら楽器を手にして、ドレミから。ロシア特有のこの楽器が街角に響き渡るような日がいつか来ればいいなと感じました。

(文・関戸/写真・木佐森)

教室案内

ロシア民族楽器 「バラライカ」「ドムラ」教室

レッスン予定日:2017年度後期 (2017年10月~2018年3月)
前半:10月7日、10月21日、11月18日、12月2日、12月16日
後半:1月6日、1月20日、2月3日、2月10日、3月3日、3月17日

生徒募集クラス:
17:00~17:45ドムラ中級
18:00~18:45バラライカ初級

講師:北川 翔(バラライカ奏者、北川記念ロシア民族楽器オーケストラ主宰)
会場:横浜平和と労働会館5階
会員受講料(1回45分×6回分):3~5名クラス:24,000円、2名クラス:36,000円、1名クラス:54,000円


みなとみらいマトリョミン教室 アンサンブル/グループレッスン

日程:毎月1回、土曜日開講
2017年度後期日程:2017年10月21日、11月18日、12月16日、2018年1月20日、2月17日、3月17日

◆グループレッスン:
Aクラス 13:00~14:00
Bクラス 14:10~15:10
◆アンサンブルクラス(90分):15:20~16:50(空席についてはお問い合わせ下さい)

講師:檜垣 紀子
会場:横浜平和と労働会館2階
神奈川音楽センターホール(※3月17日は3階会議室)


横浜ロシア語教室 第127期生徒募集中!

 入門・初級・中級・上級・会話・日本案内の各クラス生徒募集中。中途編入も可能です。見学は3クラス・各30分まで無料です。詳細は教室ホームページをごらんください。

 受講お申し込み・お問い合わせは教室事務局まで。


横浜ロシア語教室 学習動画シリーズ「おもてなしのロシア語」完成祝賀会 2月17日(土)開催!

 神奈川県日本ユーラシア協会横浜ロシア語教室の講師・スタッフがボランティアで全力を挙げてシナリオを書き、撮影、出演、編集してきたロシア語学習動画シリーズ「おもてなしのロシア語」は、好評をいただく中で、最終の第9課まで配信することができました。

 諸先生方、スタッフの皆様の1年半にわたるご尽力に心から感謝し、下記の日時に完成祝賀会を開催いたします。

 各課の特徴、何を伝えたかったかなど担当の諸先生の工夫についてのお話は、これからの皆様の視聴をもっと面白くし、ロシア語習得に必ずやお役に立てることでしょう。

 多くの方たちとご一緒に美味しいザクースカをいただきながら、美酒を飲むことを楽しみにしています!

日時:2018年2月17日(土)18:30-20:00
会場:横浜平和と労働会館5階 横浜ロシア語教室
参加費:1,000円
お申し込み締切:2月15日(木)
※講師・会員・受講生限定、定員24名

参加お申し込み・お問い合わせ先:
NPO法人神奈川県日本ユーラシア協会事務局
Tel/Fax 045-201-3714
E-Mail yokohama@rosiago.org

【視聴方法】
YouTube「神奈川県日本ユーラシア協会」チャンネルから
下のリンクをクリックすると直接見られます。また、横浜ロシア語教室HP、協会HP、Facebookからもリンクしています。

【シリーズ内容】
No.1 アルファベット
No.2 挨拶
No.3 出迎える
No.4 知り合いになる
No.5 許可を得る
No.6 店での買い物
No.7 道を教える
No.8 駅で案内する
No.9 レストランで

組織・財政

組織状況

(2017年12月26日現在)

 2017年始めの会員数は221名でしたが、12月末現在の会員数は217名に止まってしまいました。入会者36名ありましたが、退会者は累計40名になっています。

 11月末に会員数が220名まで行ったのであと一息で前年を超えられると期待していましたが、長期未納者(1年以上)整理で2名。また年末に、長年協会活動に献身された方の同居のお孫さんから「おじいちゃんは意思疎通が難しくなっているので、退会させて欲しい」旨の電話があり、永年のご貢献への謝辞をさせていただき、計2名となってしまいました。

 今年も、往年の協会活動家の卒業(退会)が続くと思われます。それを上回る仲間(会員)を増やして行きましょう。

(木佐森)

財政状況

NPO法人神奈川県日本ユーラシア協会2017/12/26
単位:円
摘 要本年度収入前年同期収入対前年同期増減
一般会計1,938,0781,869,86268,216
教育事業9,692,9358,820,520872,415
一般事業2,038,5902,381,870-343,280
合 計13,669,60313,072,252597,351
前年同期(単位:円)2016/12/26
摘 要本年度支出前年度支出対前年同期増減
一般会計6,340,8336,342,498-1,665
教育事業3,982,5743,705,233277,341
一般事業1,426,8611,492,279-65,418
支出合計11,750,26811,540,010210,258
当期剰余金1,919,3351,532,242387,093
合 計13,669,60313,072,252597,351

貸借対照表 (2017/12/26)
科 目本年12月末残高前年同期残高対前年同期増減
流動資産8,203,5398,679,104-475,565
固定資産11,999,6759,604,7752,394,900
資産合計20,203,21418,283,8791,919,335
流動負債000
固定負債000
負債合計000
純資産20,203,21418,283,8791,919,335

 年度会計としては、まだ確定していませんが、収入合計は前年比104%で、目標とした10%増には届かなかったようです。
 ロシア語授業料が主力の「教育事業」は、目標の前年比10%増を達成しましたが、会費収入が主力の「一般会計」は、会員数の停滞により103%と前年並みに。
 物販・イベントが主力の「一般事業」は、前年を大きく下回る85%に留まっています。
 2018年度に向けてみなさまの知恵と力を、一層、お貸しくださるようお願いいたします。

(木佐森)

お勧め商品

燻製イワシオイル漬け 378円(税込)

燻製イワシオイル漬け 濃厚で芳醇なスモーク特有の豊かな香り、黄金色に輝くラトビア産イワシ、好評につき再入荷。
20~30尾入り。酒の肴に、お食事に(黒パンと一緒に食べると絶品!)、おやつにどうぞ。
協会事務所では350円で販売中!

文化・芸能

芸 能

Русская Десятка ロシア・トップ10

Russia Airplay Chart TOP10  С Новым годом!「ロシアにおける日本年」を迎えたロシアから、12月第4週のRussia Airplay Chart TOP10をお送りします。10曲中3曲が新曲!

 2017年に結成20周年を迎え、満を持してリリースしたルーキー・ヴェールフの«Плачешь в темноте»(暗闇で泣いている)が堂々10位にランクイン。7位に元5staFamilyの2代目女性Voカラウロワの«Просто так»(ただなんとなく)。「美しき人生」などで一世を風靡した元バンデロスのブリトーが、新譜«Штрихи»(バーコード)をリリース、初登場5位に。

 エルジェイ&フェデュクの«Розовое вино»(ロゼワイン)が3ヶ月連続首位で年越しになりました。おめでとうございまーす!:-)

※記事全文はブログでごらんください。

画像引用元
Руки Вверх→http://www.peoples.ru/ Юлианна Караулова→http://www.peoples.ru/ Burito→http://playlistik.ru/

(Tophit.ru, Russia Airplay Chart 2017年12月18~24日/MOPA)

演劇・映画

『VIKING バイキング 誇り高き戦士たち』

(原題:Викинг、2016 アンドレイ・クラフチュク監督作品)

VIKING  バイキング  誇り高き戦士たち

 西暦800年代後半、バイキングを率いたリューリク一族がキエフを制圧、彼らは治めるその地をルーシと称した。その約100年後の977年、ルーシの支配者である大公スヴャトスラフが死去。領土は3分割され、キエフを長男ヤロポルク、 オーヴルチを次男オレーグ、ノヴゴロドを末男ウラジーミルが、それぞれ治める事となった。その後、ヤロポルクと彼をねたむ弟オレーグが衝突、オレーグは殺される。末弟のウラジーミルは兄ヤロポルクとの関係を良好に保つため話し合いにキエフを訪れるが、何故かキエフはもぬけの殻。そこに残されていたのは兄からの宣戦布告のメッセージだった。大国ロシアの礎を築いた男たちの壮絶な戦いを描き、2016年ロシア映画興行収入第1位を記録した歴史劇。ウラジーミル役に「ハードコア」のダニーラ・コズロフスキー。ヒューマントラストシネマ渋谷で2月6日から開催の「未体験ゾーンの映画たち2018」上映作品。

(C) FILM DIRECTION
(C) CHANNEL ONE RUSSIA

カザフスタン アウエゾフ記念国立アカデミー劇団 日本公演
「アクタス村の阿彦~カザフ人になった日本人~」

12月25日 於:赤坂区民センター

アクタス村の阿彦~カザフ人になった日本人~

 終戦時サハリンで父母と暮らしていた15歳の阿彦哲郎さん。引き揚げの混乱で取り残された彼は、スパイ罪でカザフスタンのカルラグ収容所に送られた。10年間の過酷な日々を経て1994年に一時帰国するも、彼を支えてくれたカザフスタンの新しい家族の元へ再び帰るという実話をもとに作られた演劇作品で、同劇団25周年の記念作品として制作されたという。

アクタス村の阿彦~カザフ人になった日本人~  日本のイメージが中国的なことを除き、大きな脚色はあまりないと思われる。15歳の非戦闘員が収容所送りになったことや、次々と同房の囚人を殺す残虐な画家の存在、「民衆の敵」として多くのカザフ人が逮捕されて収容所送りになり、同じカザフ人から殺害されたことなども、まぎれもない事実であろう。また、言葉もわからない土地へ送られた少年の気持ちを推し量ると、阿彦少年の苦労がいかばかりだったかと思う。悲惨な収容生活で、阿彦は詩人である青年アフメッドと友情を育んだ。彼は詩を書き溜めたノートを阿彦に託し処刑されるが、収容所を出て瀕死の状態だった阿彦を救ったのは、青年の実母だった。処刑された息子のノートを持っていたことで、実の我が子のように慈しむカザフの母。やがてドイツ人の両親を殺された土地の娘と恋におちるが、そこへ日本の父から手紙が来る。

アクタス村の阿彦~カザフ人になった日本人~  言葉は看守のセリフを除いて全てカザフ語。日本の歌「ふるさと」が随所に折り込まれる。同歌は中国残留孤児を扱った映画や舞台でも多く使われており、祖国へ帰れなかった者たちと日本の絆をかろうじて結ぶ象徴的な歌となっている。最終的に阿彦は日本への永住帰国よりもカザフ人として生きることを選ぶのだが、それが日本人としての潔さを感じさせた。戦争や恐怖政治の悲劇はいつ起きるかわからない。シベリア抑留体験者が次々と他界する中で、本人存命のうちにこの作品を日本で上演した意味は大きい。

 25日は演劇上演前に「カザフ民族音楽コンサート~歌と踊りでつづる草原の民の物語~」も行なわれた。関係者を含め会場はほぼ満席。阿彦哲郎さん自身も来場し、アンコールでは出演者と共に観客に向けて手を振った。

(文:滝沢/撮影:木佐森)

祖国とは一体、何?
「アクタス村の阿彦~カザフ人になった日本人~」感想

 2017年12月21日(木)の午後、学年末試験の成績集計も終わり、何とか時間の都合がついた。そこで、午後に年休を取り、誘いがあった『アクタス村の阿彦』観劇に参加した。劇の内容については、私よりも滝沢三佐子氏の文章の方が数段優れていると思うので、私はこの劇において自分が感じたことを綴ってみたいと思う。

 この劇において、私は「祖国とは何か」ということを痛切に感じたのである。終戦の混乱の中で帰還船に乗り損ねた阿彦青年は家族と離れ離れになってしまった。さらに悲劇的なことに、反ソ分子ということで抑留された。様々な困苦の後に同様な境遇の女性と結婚し、カザフスタンに永住の決意を固めるのだが、その時に「祖国」日本から手紙が来るのである。「帰国」し、父と再会するのだが、日本には残らずカザフスタンに「帰国」するのである。この劇には二つの「祖国」がある。私が阿彦の立場だったらどうするだろうか。

 答えの一つになるのは、父の抑留体験での話である。父はシベリヤのタイシェットのラーゲルにいたが、そのラーゲルの周辺にはノモンハンの生き残りがかなりいたという。現地の女性と結婚し、子供もいたそうだ。その生き残りは皆、「君たちは、まだ日本に戻れる望みがあるからいいよ。俺たちはもう戻ることはできないんだ」、「君たち、日本に帰ったら俺の家族に俺は生きていたと伝えてくれ」と父たちに言ったそうだ。「祖国」日本では、名誉の戦死を遂げた英霊たちとなっているからだ。その英霊たちには「帰国」は許されない。つまり、「祖国」に裏切られ、見捨てられたわけである。「祖国防衛」だの「死して祖国の礎となれ」だの、都合のいいことを押し付けて「祖国」は、その兵隊たちを裏切ったのである。それが「祖国」であろうか。私にとって、「祖国」とは、家族であり、友人であり、教師である私にとっての生徒であり、つまり自分とともに生きる仲間たちであり、それらの人々とともに暮らす土地である。決して、政府や国家のことではない。阿彦青年にとっても、「祖国」とは自分を温かく迎えてくれるところであった。ところというよりも、人達という方が適当かもしれない。

 今、中学校では戦前の「修身」の復活のような「道徳」が教科として授業の中に組み込まれている。その中には国や郷土を愛する心の育成が叫ばれている。70年前の教師のように、「愛国心」に満ちた子供を育てることが目標となることになるかもしれない。愛すべき「祖国」とは一体、何なのか。わずか2時間ほどの劇であったが、深く考えさせられるものがあった。

(関戸)

音 楽

田中正也ピアノリサイタル

12月7日 カワイ表参道 コンサートサロン パウゼ

田中正也氏(右)と筆者  12月7日、才能豊かな日本の若手ピアニストの一人である田中正也のリサイタルを聴きました。

 当夜は、彼のライフワークともいえるプロコフィエフのピアノ作品の全曲演奏シリーズの最終回でした。

 場所は、イルミネーションで街路樹がブルーに彩られた、クリスマスムードがいっぱいの青山通りに面した「カワイ表参道 コンサートサロン パウゼ」です。サロンとしてはちょうど良い大きさですが、残念なことは天井が低いことと周囲の壁が硬すぎることです。ピアノメーカーのサロンなので、もっと考慮してくれたらなあと思いました。これでは、せっかくの新型ピアノの実力が発揮できないのではないか…。

 プログラムの前半は、彼がペテルブルグ音楽院に入学したころの作品2つと、帰国した後に作曲した「ディベルティメント」、そして帰国を前にした時期に書かれた「三つの小品」で、その中では「ディベルティメント」が面白く聴くことができました。

 どうもプロコフィエフの作品は、管弦楽からピアノ曲に直したものに私のお気に入りがあるようで、この曲も躍動感が素晴らしいピアノ作品を聴きました。

 休憩をはさんで後半のプログラムは、中・後期の作品が並び聴きごたえがありました。

 後半の一曲目は、「思考」作品62です。パリで作曲されたもので、題名どおりのゆったりした流れが彼のピアノに乗って私たちに届けられました。もう少し親しみやすいフレーズがあったらもっと楽しめたのに、と考えたりもしました。

 二曲目は有名なバレエ「シンデレラ」から10の小品 作品97より7曲が演奏されました。20世紀のバレエ曲ですから、リズム感も躍動感もチャイコフスキーの時代とは大違いですが、ブーレという名前を聞くと、私はバッハの「無伴奏」が頭に浮かび(二人の作曲家の時代のずれは仕方がないが)その違いに少し戸惑ってしまいました。

 最後にピアノソナタが二曲演奏されました。ピアノソナタ第5番と未完に終わった第10番です。プロコフィエフのピアノソナタといえば第7番が有名ですが、この第5番のソナタも大変完成度が高いと聴いた。未完に終わった第10番は、完成したらどんな曲になっていたのだろうか、もしかしたら第7番をしのぐ作品になっていたかもしれない、大変惜しいという想いがよぎりました。

 アンコールは「前奏曲 ハープ」と「インドのギャロップ」、そして客席からの声を受け、リストの難曲「ラ カンパネラ」でした。「インドのギャロップ」は私好みの作品で大変気に入ってしまいました。「ラ カンパネラ」は、田中正也というピアニストが卓越した技術と音楽性を持ち合わせていることを証明してくれた、と言っても良いでしょう。

 しかし、私にとってオール「プロコフィエフ」プロは正直少し疲れました。

(文・金子/写真・木佐森)

ユーラシア通信

サマラでの合気道セミナー

サマラでの合気道セミナー  サマラでの合気道セミナー開催に際し師範に同行することとなりました。

 思いもかけなかったロシア旅行のためユーラシア協会で1ヶ月間ロシア語を習い成田を出発。モスクワから国内線で1時間半、サマラ到着は夜中の12時でした。地元で合気道場を経営するオレーシャさんとアンドレイ夫妻が出迎えてくれた時の満面の笑みが忘れられません。

 サマラ市内はサッカーW杯を控え都市インフラ整備や建設ラッシュに沸いています。サマラは大戦中にモスクワが戦場になった際の臨時首都に指定された歴史があります。そのため市内には戦災に合わなかった古い建物が数多く残ります。多くの建物はメンテナンスはされておらずそれが却ってその時代にタイムスリップをしたような錯覚を呼び起こすのです。古い町の近くまで迫る新しい建築群を見ると建設ラッシュに乗じて古き良き建物が破壊されないことを祈るばかりです。

サマラでの合気道セミナー  合気道の若夫婦もボルガ川を一望できる新築高層アパートメントに住み道場を三つも抱えています。彼らはアパートメントや道場をスケルトン(内装なし)で買って内装や設備をプロ並みの腕前で仕上げてしまいます。三つめの道場も夫婦で間仕切りブロックの工事中でした。サマラの人は家も酒も干物も自分でできるものは自分で作るそうです。夫妻宅では自家製のパンや蜂蜜酒もご馳走になりました。

 ロシアでの合気道は人気が高くサマラ市内にも十数か所の道場があります。夫妻の道場には子どもたちだけで200人近くが通っています。子どもたちの稽古が終わるまでお母さんが廊下で待つ光景は日本と変わりがありません。

サマラでの合気道セミナー  大人のセミナーでは日本人師範が技を説明する度に食い入るように観察する人やビデオカメラに収める人もいてその熱心さは日本以上でした。

 他道場から来た人の中には合気道7割他の武術3割といった怪しい合気道もあります。しかし戦時の皆兵義務や徴兵がある国ならではの実践を重んじる風潮があるからかもしれません。

 最後に。ロシア語はどうしたかって?地方都市と言えどもペレストロイカ以降の若い人たちは英語が話せました。折角習ったロシア語ですから道場でも使って見ましたが返答は英語でした。気遣ってくれたのですね。なんでそんなに単語を知っているの?と聞かれたり、発音が良いから言っていることがわかるよ。と褒められたり、コミュニケーションにとても役立ちました。

 やはり語学は大切です。合気道若夫婦のひまわりのような明るさとエネルギーがサッカーW杯に邁進するサマラを象徴するかのようでした。

サマラでの合気道セミナー サマラでの合気道セミナー

(木村)

旧ユーゴスラビアを訪ねて(2)

旧ユーゴスラビア  コソボで大規模な暴動が発生し、NATOの平和維持部隊が守っていたはずの多くの教会やセルビア人の村が襲われた。2004年3月17日のことだ。去年訪ねたセルビア王国の古都プリズレンでは、破壊の跡が生々しい世界遺産の教会を見た。そこから車で2時間のデチャニ修道院は、イタリア軍によって守られている。到着するとパスポートを軍に預ける。紛争地にいるのだと実感する一瞬だ。

 そんな土地でも日本の観光グループも含め、世界中からの客が訪れる。14世紀初めに造られた聖堂はよく保存され、建築、彫刻、フレスコ画が一体となったすばらしいものだ。なによりいいのは、修道生活がかいま見られることだ。修道院長はクロアチア人、渉外係の司祭はモンテネグロ人、旧ユーゴを構成したさまざまな国の人々が集まっている。英語のほかロシア語も「話せませんがわかるのでどうぞ」と言われる。食事は1日2回、修道院の農場や牧場でできる食材はとてもおいしい。むろん兵士に守られて作業するのだ。

 朝晩の祈りの中で多くの人と繋がっていることを実感し、修道士たちのさりげない気配りに感動し、さまざまな国からやって来た同宿の人たちと交流するうち、4日間はたちまち過ぎてしまった。

 モンテネグロ経由でセルビアに入る。めざす「ゲオルギーの柱」修道院がある地域はムスリムが多く、分離運動が盛んになっている。民族や宗教の違いを認め合って共存することはできないものか。違いを言い立て争いを起こして、利益を得る者の存在が忌まわしい。

 12世紀に造られた修道院は山の頂にある。500年に及ぶトルコ支配の時代に荒れ果ててしまったが、世界遺産である。今世紀の初めに3人の修道士が派遣されて復興の途上だ。何度もメールで確認したのに、まさかほんとに来るとは思っていなかったらしく狼狽している?2人の修道司祭が、自分たちの庵室を空けて泊めてくれた。「女性の宿泊者は私の母と姉以来です」と、私の息子と同じ年頃の司祭が言う。シーツは換えてくれたらしいが、壁に蜘蛛の巣、床に落葉でびっくり。

 次の日は生神女(聖母)庇護祭で、大勢の信徒が集まって来た。スマホを持った修道院長が、日本語で主の祈りをやれ、と言う。後日テレビで放映されたそうだ!石造りの食堂(じきどう)で信徒たちとお茶会。残っていたお煎餅を配ると、珍しがって小さく割ってみんなで味見している。英語とロシア語ちゃんぽんの会話が続き、和やかなひとときだった。

 旅の終りはベオグラード。思いがけなくブランコ・ブケリッチの御子息、山崎洋・佳代子夫妻にお会いできた。墓参のことを甥御さんが知らせてくれたのだ。忘れ難い旅になった。

(鈴村)

シベリア追憶の旅(5)

◆ サーシャ、ミーシャ、パーシャ

 次の日は7時に起きる。睡眠時間は4時間くらいか。もっと眠っていたいが、仕事の時は必ず目覚ましより早く目が覚める。だが、目覚めはすっきりしない。朦朧とした脳の状態で味気なく朝食をとる。

 9時にバスが迎えにくる。昨夜と同じ大型バスだ。昨夜は暗くて気が付かなかったが、車体に大きく中国語が書かれている。中国人ツーリストが多いことが分かる。現地旅行社の社長兼運転手のアレクサンドルさんは、私たちを目的地に届けた後、イルクーツクに向かうと言う。中国人のツーリストを迎えるために翌朝までにはイルクーツクに着かねばならないので交代で運転するそうだ。そのために同行するミハイルさんとパーベルさんを紹介してくれた。3人とも学校で一緒に学び、今は一緒に仕事をしている仲だと言う。4年前に旅行会社を立ち上げた3人はお互いをサーシャ(アレクサンドル)、ミーシャ(ミハイル)、パーシャ(パーベル)と呼び合い、対等で仲の良い関係である雰囲気が伝わってくる。

 ザバイカリエ州行政府を表敬訪問したあと一路目的地のヒローク地区へと向かう。道路は、工事中のところもあり、すべて舗装されていたわけではないが、道路の状態はかなり良くなっていて、快適なドライブができる予感がする。予定では4時間後の3時には着くことになっていた。しかし大型バスなのでスピードがでず、6時間以上かかり、ヒロークに着いたのは夕方5時過ぎであった。さすがに疲れたが、しかしバスの窓越しにシベリアの風景を十分に堪能でき、ドライブ・インも楽しめた。

◆ イワン・チャイ

シベリア  街道の左右にピンクのお花畑が次々と現れた。何の花かとミーシャに聞いたらイワン・チャイだと言う。野原にまとまって咲くピンクのイワン・チャイの花は今までも何回か見たことがある。しかしこれほどの規模で群生し、一面のお花畑になっているのは初めて見た。できたらバスを降りてお花畑を歩いてみたかったが、それはかなわぬことであった。

シベリア  イワン・チャイと言えば、その葉を干したお茶が戦後の食糧難の頃に飲まれていたと聞いたことがある。一度飲んで見たいと思っていたが、今までその機会はなかった。ところが、今回の帰路、ハバロフスクの中央市場でイワン・チャイの茶葉を見つけ出した。聞けば、今も健康に良い薬草茶として飲まれているという。天日に干しただけの葉を無造作にビニール袋に詰めただけのものであったが、大喜びで買った。袋には、胃潰瘍、十二指腸潰瘍、胃酸過多、頭痛、貧血症に適用でき、不眠には鎮静効果があり、止血もできると書かれた紙が入っている。製造元名も連絡先も何も書いてないこの能書きをどこまで信じて良いかは分からないが、薬草扱いされているのは確かなのだろう。家で飲んでみたら草っぽい味は残っていたが、それなりにハーブティーとして飲めると思った。しかし、どの症状にも当てはまらない私にはその効用を試しようがない。

◆ ドライブ・イン

 途中でトイレがきれいだからとあるドライブ・インのレストランに案内された。しゃれた木造のレストランはパンも料理も種類が多く、コーヒーも美味しかった。値段は、土地の人たちにとっては高めと思われた。どういう人たちが利用しているのであろうかと見渡してみたが、客は私達だけであった。入り口近くでサーシャ、ミーシャ、パーシャが大皿の美味しいそうな肉料理をしっかりと食べていた。このレストランのオーナーとは顔なじみで、いつも利用していると言う。そうか、この三人は自分で稼ぎ出し、好きなようにお金を使っているのかもしれない。この若き働き者たちの事業がこれからも好調に続き、3人の仲が壊れることが無いようにと願う。働き者といえば、力強く生きている男性たちには中央ロシアのタンボフ州でも会ったことがある。

◆ 森の人たち

 ロシア人の女性はスキンヘッドの男性に異性としての魅力を感じると言う。ソ連時代も禿げている男性は女性にもてたが、その理由は今とは違っていた。昔、私が聞いた理由は、禿げている男性は器用で何でも修理できるから伴侶としては最高なのだと言うものであった。実際にどうなのか、私には知る由もないが、普通の農村男性のバイタリティーを知る機会はあった。遺骨収集団の通訳としてタンボフの森の奥まった村にある日本人捕虜埋葬地に同行した時のことである。過ってのコルホーズの畑地跡か、草がぼうぼうと生えている広い畑の近くに数軒の農家があった。あの経済混乱期にどんな暮らしをしているのかと私は気になったが、現地のロシア農民たちはしっかり生きていた。その生活能力には目を見張るものがあった。必要なものは何でも自分たちで工夫しながら作り出していた。忘れられないのは、大きな焚火。夏とは言え、小雨降る寒い野原で震えている私たちのために森の人たちが作り上げてくれたのは、いくつかの大きな幹を組んだ見上げるほどの焚火であった。薪を足さなくても組まれた幹が燃え上がるその焚火は長いこと私たちを温めてくれた。あの時、私はこういう男性たちがいたらどんな緊急事態もしのげるのではないかと思った。

◆ 村の市場の男たち

シベリア  ロシア人の中でも特にシベリアの人たちは体格も良く、気はおおらかでバイタリティーにあふれていると私には思われる。今回会ったサーシャ、ミーシャ、パーシャもそうだし、フーシェンガ村で作業員として働いてくれた15、6歳の男の子たちもそうであった。彼らは素直で、泥まみれになって働くことを厭わなかった。作業中は力強くスコップを使い、休憩の時にはスマホをいじり、仕事が終われば近くの川で水浴びをして家に帰っていた。おおらかで気持ちの良い若者たちであった。そんな彼らを見ながら、全く違った印象を受けた17年位前のことが思い出された。

 ソ連邦崩壊後の混乱の時期にシベリアの小さな村の市場で見たあの光景である。バスでの移動中に立ち寄ったその農村市場には、平日の昼にもかかわらず男たちがたむろしていた。10人ほどの中年男性たちである。何かをしている訳ではない。だた集まって時間を過ごしているだけのようであった。たむろしているシベリア男たちはよそ者である私たちの動きをいつまでも目で追っていた。なげやりな絶望感を漂わせている彼らの暗くて鈍い目が気になり、私は落ち着かない心地になった。あの頃はさすがのシベリア男たちも自信を無くし、絶望感に駆られ、明日への不安を抱えていたのだと思う。あの時の男性たちは今どうしているのだろうか。すでに立直り、明日への希望を持ちながら働いているだろうか。そうであって欲しい。

(野口)

「続・日露異色の群像30」出版記念祝賀会開かれる

「続・日露異色の群像30」出版記念祝賀会ア  「日本の中のロシア」など、日本とロシアの交流史を研究、発掘している長塚英雄さん(ロシア文化フェスティバル事務局長)が編集出版した「続・日露異色の群像30」の出版記念祝賀会が東京神田のグランドホテルで、12月6日(水)に開かれました。

 まずは、長塚さんから出版に至る経緯についての報告。ロシア文化フェスティバル日本委員会を代表して副委員長の栗原小巻氏が挨拶、続いて元駐ロ日本大使の原田親仁氏、駐日ロシア連邦文化庁代表のビノグラード氏の祝辞。「日露異色の群像30」を書いた著者の中で、「春の祭典」で有名な作曲家の「イーゴリ・ストラヴィーンスキー」を書いた石田一志氏、日本にチョコレートを普及した「ヴァレンチン・モロゾフ」を書いたピョートル・ポダルコ氏、「秋田雨雀」を書いた工藤正廣氏が、当該人物像を語りました。

 神奈川県日本ユーラシア協会からは川西さんと木佐森が出席しました。

(木佐森)

文学紹介「ハンガリーの建築タイル紀行 ジョルナイ工房の輝き」

INAX出版 1,620円

 ヨーロッパは、19Cに、その時代の光芒を担う文様をタイルにおいて生み出した。1つは「女王陛下のタイル」と呼ばれる英国のビクトリアン・タイル。もう1つは150年の歴史に輝くハンガリー・ジョルナイ工房のタイル。ここで述べようとしているのは、後者である。この彩り豊かなタイルは、首都ブダペストを、世界遺産都市に押し上げた。ゴシック式の尖塔と美しいタイルやステンドグラスに覆われたマーチャージュ教会は、ジョルナイの奇跡と呼ばれる。国外から優秀な技術者を集め、レヒネル・エデン(1845~1914)も登場する。元来、ハンガリーは、ヨーロッパで有名な温泉国家でる。入浴は娯楽と医療目的を兼ね、盛んであった。加えてこの時期、陶磁器技術者を発展させ、新しい釉薬の開発に成功し、輝くような原色発色に成功した技術革新の世紀を迎える。エデンと言えば、アール・ヌーボーの影響を受けた手法で、ブダペストに、新しい息吹を吹き込んだ名工である。リスト音楽院、駅にも彼の作品は見られる。古代ローマ、オスマン・トルコ、オーストリア・ハンガリー帝国の二重支配の中で、生きてきたハンガリー独自の文化が、19Cに花開く。一歩、歩けば自国の歴史があるのだ。ジョルナイ・タイルが建築の内外装問わず、輝くのだ。

(中出)

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