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ロシア文化


中世ロシア興亡史講義 ~歴代君主の素顔とその真実~ 862-1598
Лекции по истории средневековой Руси

第132回 父と同じ運命をたどったドミートリー二世

 大公位に就いてからの三年間、ドミートリー二世は、年代記作者の注目に値するようなことは何一つ行わなかった。前大公ユーリー三世はその間、汗国への出立を急ぐこともなく、大公だけの特権であるはずのノヴゴロドの統治を継続し、ウスチュークへ出撃し、要塞都市オレショークを起工し、スウェーデン人と戦ったが、そのスウェーデン人と締結した条約の中で、自身のことを“大公”と呼ぶことすらあった。“恐るべき眼”というあだ名にもかかわらず、ドミートリー二世は、このユーリー三世の傍若無人な勝手な振る舞いを阻止するどのような措置も取ろうとはしなかった。

 1324年の後半、前大公ユーリー三世が水路で汗国へ向かったという知らせがトヴェーリに届いた。ユーリー三世に対する汗の裁きを成り行き任せに見過ごすことはできなかった大公ドミートリー二世は、弟アレクサンドルを連れ、ユーリー三世のすぐ後を追ってすみやかに出立した。

 ユーリー三世とドミートリー二世が汗国に到着し、刻々と時は過ぎていったが、ウズベク汗はいつまで経っても裁きの日取りを決めようとはしなかった。ユーリー三世の罪は誰の目にも明らかであった。主な罪状としては、トヴェーリの銀の未払いと、ノヴゴロドでの不法行為があった。汗の命令を無視したこのような振る舞いは通常では死刑に相応するものであったが、ウズベク汗はもしかして、自分の権威を損ねることなく、かつての親類を救う手段を考えながら故意に時間を引き延ばしていたのかもしれない。事態のこういった展開はドミートリー三世をまったく満足させなかった。彼は弟アレクサンドルと相談し、自らユーリー三世に手を下すことを決断した。ユーリー三世の罪は明白なので、自らの勝手な行為が厳罰に処されることはないだろう、という目算があったのだろう。1325年11月21日、大公ドミートリー二世は、自分の父を死に追いやった張本人を自身の手で殺害し、「父の血の恨みをはらした」。

 ドミートリー二世の目算に反し、ユーリー三世殺害に対するウズベク汗の怒りはすさまじく、トヴェーリの全諸公にそれは波及した。ウズベク汗はトヴェーリの諸公全員を反逆者、不服従者と呼びつつ、一方、ドミートリー二世の処遇についてはなかなか結論を出そうとせずに、彼の弟アレクサンドルをタタールの大部隊と共にトヴェーリへ行かせた。その結果、トヴェーリの地には多くの負担がかかり、トヴェーリ公国には一時払いの相当な代償金が課せられることとなった。

 ウズベク汗は、大公ドミートリー二世の処遇について、ほぼ一年の間考えあぐねていた。1326年9月15日、ドミートリー二世は汗国で処刑された。大公は彼の世襲領地であるトヴェーリの聖スパス教会に埋葬された。

 次回は「兄の後を継いだアレクサンドル」。乞うご期待!!

画像:中世の武器
https://aspix.ru/Crusades_Weapons より

(文:大山・川西)

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