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ロシア文化


中世ロシア興亡史講義 ~歴代君主の素顔とその真実~ 862-1598
Лекции по истории средневековой Руси

第143回“ルーシ国土の収集者”であった大公イヴァン

 1331年3月の初めに、大公イヴァンの妻のエレーナ(系図は不明)が亡くなった。彼女は夫に四人の息子――セミョーン(後の大公)、ダニール、イヴァン(後の大公)、アンドレイ――と、四人の娘――フェオチニヤ、マリヤ、エヴドキア、フェオドシア――を生んでいた。教会のしきたりによって定められた期間が過ぎた後、イヴァンは二度目の結婚をした。年代記には、ウリヤナという、彼の二番目の妻の名前だけが記されている。イヴァン大公とウリヤナの間の子供(娘)は、イヴァンが亡くなった後に誕生した。

 大公イヴァン一世は、狡猾に、そして残酷に、分領諸公と対峙した。彼は明確な目的を持って行動し、同時に非常に辛抱強く、分領諸公に対して自らの意志を遂行していった。年少諸公のごくわずかな不満、ならびに不服従には、速やかに且つ容赦なく抑圧を加えた。また、治安を乱す強盗にも容赦なく、年代記の中では、「ルーシの地を賊から正した」ことで彼は高く評価されている。民衆の中では、その並々ならぬ信仰心、教会建設への熱意、乞食や不幸にあえぐ人々への慈悲ゆえに、彼は愛情を獲得した。大公イヴァンはいつも銭袋を腰に身につけ、人通りの多い場所を訪れると、乞食や病人、不具者らにふんだんに金を分け与えた。民衆は彼のことを、“カリター(財布)”、または“ドーブルィ(義人)”と呼んだ。

 大公イヴァンには、さらにもう一つのあだ名があった。それは、“ルーシの国土の収集者”というものである。汗国は、ルーシ全土のすべての者から貢物と税を徴集することを大公の手に委ねて、より簡潔に税の徴収を処理しようと試みた。ルーシの地には平穏と秩序があったし、大公の汗国への忠誠も疑いの余地がなかったからである。今やモスクワの国庫を介して汗国に莫大なお金が流れるようになり、その内の幾分かは大公国の国庫に確実に貯蓄されていった。イヴァンは、従属下にある分領諸公に対してさらに大きな力を持つようになってゆく。

 国庫が潤うのと同時に、大公イヴァンは土地の“収集”にも着手していった。タタール軍の度重なる襲撃によって多くのルーシ諸公が疲弊していたが、彼らはそれでも汗の貢税を支払わねばならなかった。イヴァンはそういった諸公の借金のカタに個々の村落や村を没収していき、加えて町々とその周辺地域をも買い占めていった。このようにして彼はまさに、ルーザ、ズヴェニゴロド、ペレムィシリ、ウグリチ、ベロゼルスク、セルプホフ、ガーリチ、さらにコストロマやトヴェーリ、ウラジーミル付近の村落と移住地を、自分の世襲領地に加えていった。また彼は、ヤロスラヴリ、ベロゼルスク、ロストフの公に自分の娘たちを嫁がせ、娘の夫の領地では横暴な主人のように振る舞った。大昔からどの公も村落一つ買うことも、贈り物として受け取ることもできなかったノヴゴロドの地ですら、大公はわずかではあるが上手く土地を手に入れることができた。大公イヴァン一世には、ルーシ諸公の中で初めて、非公式とはいえ自らを「全ルーシの大公」と名乗るべき、れっきとした幾つかの根拠があったのである。

 次回は「ノヴゴロドとの衝突」。乞うご期待!!

挿絵:大公イヴァン一世(カリター)
https://24smi.org/celebrity/5042-ivan-kalita. より

(文:大山・川西)

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