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ロシア文化


中世ロシア興亡史講義 ~歴代君主の素顔とその真実~ 862-1598
Лекции по истории средневековой Руси

第92回 ネフスキー、大公位に就く

タタールの兵士  大公国勅書を弟アンドレイから奪うためサライ・バトゥに向かったネフスキーは、高価な貢物も用意していた。ネフスキーの訴えは容易に聞き入れられた。アンドレイはカラコルムにいる大汗から大公位勅書を受け取っていたのであるが、サルタクと汗の側近はそのカラコルムからの独立を表明する機会を虎視眈々と狙っていたのである。ネフスキーの後にアンドレイのもとへキプチャク汗国の使者が派遣され、さらにアンドレイが服従しない場合に備えて、ネブリュイ汗の部隊がウラジーミルに出動した。この頃アンドレイの方は、汗の裁きが公正に行われようとはまったく期待しないで、スウェーデンに逃亡した。こうして、ネフスキーにはサルタクの手から、ウラジーミル大公国の勅書、そして、ノヴゴロドとプスコフ一帯、ポロツクとヴィチェフスク一帯の地の勅書が授けられた。彼は自分の居住地としてウラジーミルを選び、この年、府主教キリールがネフスキーを大公位に据える厳かな式典を行った。

 その後、ノヴゴロドの人々の同意を得て、同地を統治するために長男のヴァシーリーを差し向けたネフスキーは、ようやく大公国の諸事に没頭するようになった。以前彼がノヴゴロド公として果敢に国外の敵に立ち向かっていた時に現れていた能力が、ここでも如何なく発揮されることとなった。すなわち、卓抜した外交手腕と慎重さ、深い知性、生まれながらの勇気と体力、有能な司令官としての権威とカリスマ性が彼にはあった。それらに欠かせなかったのが、彼の魅力的で力強い声と雄々しい美しさ、堂々とした貫禄である。ネフスキーとしては、何としてもタタール人の襲撃を防止し、ルーシの復興と力を蓄えるための時間をかせぐ必要があった。そのためには、タタール人を挑発するようなどんな不満をもルーシの人々が表さぬよう、いかなる手段をもってしても彼らを思いとどまらせなければならなかった。第一に、汗国にはきちんと貢税を払うこと、第二に、汗と彼の高官にすすんで惜しみなく贈り物をすること、第三に、時には公としての誇りを抑えて紛争を調停し、タタール人の部隊の襲撃を回避すること、第四に、汗国の代官らの不法行為を可能な限り制限すること、である。ネフスキーは、自由都市であるノヴゴロドにすらタタール人に貢税を払うことを強制し、およそ十年にわたってルーシの地に平和を敷くことに成功した。

 時代が下ってから、幾人かの歴史家は、あたかも“タタール寄り”の行動をしたかどでネフスキーをとがめた。もちろん、ネフスキーは汗国に秘密で、一定の数の軍隊を二、三年の間に編成し、人々を反乱に立ち上がらせることもできただろう。しかし、実はまさにそのことを待ち望んでいたのが、ネフスキーが以前然るべき反撃を与えたところの、スウェーデン人とドイツ騎士団、さらにルーシの地を狙う他のバルト沿岸の人々であった。この状況下でルーシを両面戦争に突入させることは、たとえ民衆に対しては裏切り行為ではなかったとしても、大公の立場から見れば、許しがたい愚行であったろう。

 次回は「ネフスキーの巧みな外交政策」。乞うご期待!!

(大山・川西)



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