特定非営利活動法人 神奈川県日本ユーラシア協会

協会行事


NPO法人神奈川県日本ユーラシア協会創立50周年記念行事
50-летний юбилей Общества "Япония-Евразия" в Префектуре Канагава

創立50周年記念講演(要旨) 神奈川県における日ロ友好運動の歴史と展望

会長 柴田 順吉

創立50周年記念講演

 来賓の皆様、協会員の皆様、ロシア語・日本語教室講師の皆様、音楽教室の皆様、本年は当協会の前身「日ソ協会神奈川県支部連合会」が結成されてから50年になります。

 1961年僅か二十数名の会員で神奈川県連結成準備会を発足させてから今日に至ったのは偏に皆様方のご協力の賜物であり深く感謝申し上げます。

 さて、日本とロシアの最初の親善団体は1919年設立された日露協会です。(後藤会頭のロシア関係略歴;1908年ロシア皇帝から白鷲大綬章を贈らる。1918年,ハルピン学院創立。同年、拓殖大学学長就任。1919年、日露協会会頭就任。1922年加藤首相と日ソ復交について合意。)

後藤新平

 後藤新平(写真)は「赤い男爵」といわれましたが、彼は日本とロシアの国民同士の友好を唱え、ソ連の体制を軟化させるために、日露関係が正常化されるべきだと主張しました。

 後藤は労農政府極東代表ヨッフェに来日を勧め、1922/2/1ヨッフェは横浜に上陸、両者は上野で日ソ復交の為会談。(同年、後藤は日本ポーランド協会名誉会長就任、この時、右翼の赤化防止団員が伯爵邸に乱入し、家財等を破壊、2/28暴漢が再び乱入、長男一蔵氏が負傷しました。)ヨッフェとの5/25会談の後「日露内(うち)交渉顛末」を刊行。その後、日露交渉は政府の手に移った。1927年12月、71歳で最後の露国訪問の途に就き、外務人民委員代理カラハンと会見、漁業協約について会談。中央執行委員会議長カリーニンとも会談。1928/1/7、スターリンと会談。1/21, モスクワ発、帰朝の途に就きました。出発間際に日本政府からの漁業条約調印決定の吉報に接しました。73歳で逝去。

 ヨッフェが横浜市内見学に出たすきに警察が彼の所持品を検査したので憤慨した彼は激しく抗議、今後このようなことが繰り返されるなら直ちにソ連に帰国すると警告しました。後藤は加藤首相に宛て当局官権のヨッフェに対する態度を難詰した書簡を送りました。官憲による弾圧にも拘わらず一般の人々はヨッフェを大歓迎しました。2/7彼が北京ソ連代表部に送った電報では「後藤、新聞、人民の接待は予想以上だった。千人を超す人たちが私を迎えてくれた。」と述べています。

 ヨッフェ来日を機に横浜公園で仲士同盟会、郵司同友会、総同盟鉄工組合、海員組合など500名が参加、「仲仕鑑札の撤廃」「8時間労働」「日露通商」の3か条を決議し、デモ行進を行いました。労農党中央執行委員で川崎市議会議員だった糸川二一郎が帝国ホテルでヨッフェと面談しています。娘の糸川糸子は亡くなるまで当会の会員でした。 

 1925/4/9新報は「足柄下郡を中心とする県下の柑橘園千五百町歩の震災被害に依る復旧に関しては本県柑橘組合が…之が復旧に着手すると共に本県の名産たる蜜柑の販路開拓の為、日露通商開始を機会に組合から視察員を露国方面に派遣することとなったが、寒気激しいロシア方面では他の果物は腐敗または変色して食卓に上すことが出来ないのに単(ひと)り蜜柑のみは安全でこの点に組合が眼を注ぎ販路を拡張し様とするのであると」と報じました。

新潟税関にて

 (この企画は成功しましたが、1918年の548トンをピークに日ソ関係の悪化で大幅に減少、1935年の23トンを最後に中断されました。戦後、国府津の井上みかん店、新井清太郎商店、柴田現協会長等の努力で横浜貿易協同組合がソ連極東貿易事務所V/K “Daljintorg”との契約に成功し横浜ナホトカ航路のBaikal号で500トンの県産蜜柑が初輸出されました。同協組は1966-1992まで県産のスカーフ、タイヤをソ連に輸出、木材や鮫鰭など海産物を輸入しました。)
 写真:1960年、ロシアに赴く国府津「井上みかん店」井上常務と柴田(左)、新潟税関にて

 同年4/5から、国鉄東神奈川駅西口、大正学院夜間中学校を教室に横浜露語学会のロシア語講座が開かれました。

 この年には秋田雨雀、小山内薫、米川正夫などによって創立された「日露芸術協会」がロシアの芸術、文化の紹介、交流を広く行うようになりました。

 1925年9月、日本労働組合評議会は全ロシア労働組合中央執行委員のG.レプセ一行を日本に招待しました。日本の労働者は熱烈な歓迎を以って迎えましたが、政府はこれに猛烈な弾圧を加え、歓迎に関係した活動家を殆ど検挙、拘束してしまい、一行は予定を打ち切って帰国せざるを得ませんでした。

 写真:左端から2人目が当会の故糸川糸子会員、右隣父糸川二一郎(写真の中の文章もお読みください)

G.レプセ一行

 新報9/23号は「…G.レプセ氏一行4名は予定のごとく22日午前11時30分横浜駅に到着、4分間停車中歓迎の為上りホームに参集した市電共和会を始め市内各労働団体約100名の歓迎の辞を受けレプセ氏より謝辞、来朝の挨拶が交わされた後、直に一行は東京へ向かった。警察当局では例によって駅の内外に多数の官私服が警戒し、同列車が出発後労働側の内に公安を害する虞があったと三名戸部署へ検束したが直に釈放された。」と報じました。

 1931/6/27長谷川如是閑、秋田雨雀、山田耕筰、大塚金之助、中條百合子など170余名の著名な学者、研究者、医師、作家、芸術家、法曹家、文学者などによって「ソヴェートの友の会」が設立されました。 友の会は11月、グラフ「ソヴェートの友」を発行、ソヴィエト事情を紹介し続けました。しかしその後、ソ連のソヴェート友の会国際委員会本部からひそかに運動を左翼化せよとの干渉があり、友の会は1932/5/21日ソ文化協会と改称し7月からは機関紙「新ロシア」を発行、「ソヴェート同盟の、政治、経済、文化の発展を科学的見地から研究し、紹介すること」を任務とするようになりました。

 一方、8月には、ソヴェート友の会国際委員会本部から正式に「友の会日本支部」を結成するよう要及がありいわゆる第2次「ソヴェート友の会」が発足しました。

 第一次ソヴェートの友の会の機関紙だったグラフ「ソヴェートの友」がその機関紙となりました。秋田雨雀は日記で「このグラフが合法性を失わずに続刊されることを希望して止まない。」と憂慮しました。

 横浜ではモスクワの国際作家同盟第3回大会に代表を送る運動、座談会「ソヴェートを聴く夕」、ソヴェート映画「新女性線」の上映などが行われました。煙突男田辺潔が神奈川の「ソヴェートの友の会」の書記長として活動しました。しかし、官憲の弾圧は激しく、1932/12/27夜、仲間とささやかな忘年会を終わって行方不明となった彼の姿が翌33/2/1山下橋の下に水死体で発見されました。

 1934年、活動家が一斉に警察に留置された為、ソヴェートの友の会書記長江口渙が解散声明書を発表、戦前の活動は終わりました。この際、常任委員長藤森成吉氏が提供していた事務所は本人に無断で処理されてしまいました。戦後、私が藤森さんを逗子の自宅に県連設立の相談の為訪れた際、組織を代表して?叱られた事を覚えています。

 こうした中でも日本の音楽、バレエ、絵画等のロシア文化受容は衰えることがありませんでした。反対に、日本文化もソ連に紹介され、何と歌舞伎の海外初公演はモスクワ及びレニングラードにおいてでした(1928年)。日本は第1次五カ年計画期にソ連の機関車修理に技師を派遣し、一時期「鉄道の日本化」と称賛されたことさえあります。このように、日ソ両国には協力・共存の道もあったし、後藤新平、斎藤実を会頭とする日露協会はそのために活動したのです。

 敗戦の1945年には「ソヴェート研究者協会」、翌年には「日ソ文化連絡協会」が結成され、さらにこの2団体が提唱し、他12団体が発起人となって「日ソ親善協会」が設立されました。1956年の日ソ国交回復宣言を契機に同協会は「日ソ協会」に改組され、鳩山一郎氏を会長とする国民的大衆組織に発展しました。

 神奈川では1962年に「日ソ協会神奈川県支部連合会」が発足しました。(以後の活動の詳細は当会の年表や[創立50周年記念DVD「日本とユーラシア」神奈川県連版]所収の県連機関紙でご覧ください。)

機関紙

 私たちはソ連時代には日ソ協会に対する「ソ日協会」本部(背後にソ連共産党)の大国主義的な干渉と戦いました。(右画像参照)資本主義ロシアになった現在でも「ソ日協会」本部の大国主義は形を変えてまだ続いています。

 ソ連邦崩壊後、協会は1992年「日本ユーラシア協会」と改名し、現在に至っています。神奈川県の協会は全国で唯一、2003年に法人格を取得、全県民に開かれた組織となりました。

 来年以降はハバロフスク州民、市民の自主的な組織であるハバロフスク友好協会連合会との交流を強化することを計画しています。桜の咲く頃には同会活動家7名を横浜に招待する予定です。

 今後50年で協会を自分たちの会館を持つまでに発展させましょう。創立100周年記念日は一回り大きな協会、戦争のない世界、真に友好的な日ロ関係の中で迎えようではありませんか。


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