特定非営利活動法人 神奈川県日本ユーラシア協会

協会行事


NPO法人神奈川県日本ユーラシア協会創立50周年記念行事
50-летний юбилей Общества "Япония-Евразия" в Префектуре Канагава

行事報告 「台風を吹き飛ばすほどの楽しさ」

神奈川県日本ユーラシア協会創立50周年記念行事開催
―半世紀の歴史を考え、次の半世紀の道しるべに―

副理事長 関戸 真哉

NPO法人神奈川県日本ユーラシア協会創立50周年記念行事

 9月30日は台風が近づく日曜日。開催そのものが心配されましたが、午前中の天気を見て、催行決定。明るく元気なスタッフが会場の市従会館に10時から集まりました。

 関戸は事務所から必要な荷物を積み込み、市従会館を往復しました。会場では、スタッフが準備に大わらわ。この会場でひときわ目立ったのは正面に掲げられた横断幕です。柴田会長手ずから筆と墨で書き付けられた労作です。その50の数字は金色でした。人間の夫婦でも50年連れ添えば「金婚式」。それにちなんだのでしょうか。また、椅子席を囲むように体験コーナーや、サモワールと軽食のコーナーがセッティングされました。

 市従会館は山の上で、周りにはコンビニもファミレスもありません。午前中から準備に追われ、昼食も弁当も用意できませんでした。ところが、機転の利いた木佐森理事長の一言。「軽食コーナーのもので、賄いメシにしよう」とのことで、「スィールニキ」と「ハチャプリ」が昼食になりました。味見も兼ねて、一石二鳥。参加した皆さんよりも早くメニューに舌鼓を打ちました。

 いよいよ1時から式典開始。やはり、台風情報のせいか出足は悪く、空席を隠すためにスタッフも椅子席へ。祝電メッセージの紹介から始まりました。その中で涙が出るほどうれしかったメッセージは元常任理事福島留美さん(ムルマンスク在住)からのものです。「スタッフの皆さんが力を合わせて準備なさっていることでしょう。50年もそうしたスタッフの皆さんに支えられて、そして多くの会員が集まって支え、幸せな協会だと思います。これからも協会内外の方々に、協会とユーラシア諸国が愛され慕われ続けることを、ロシア連邦の辺境の地から切に祈っております」との温かいメッセージでした。

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 その後は、創立当時の初代事務局長・現会長の柴田さんの基調講演。半世紀の歴史と現在の友好運動について、話していただきました。その中で印象に残った話は……。
◎月から地球を見れば、国境「線」などは見えず、一つの地球であること。
◎しかし、誰かが国境線を引いて、戦争は必ずその国境線を越えて領土の奪い合いになること。直近の尖閣諸島問題しかり。竹島問題しかり。日ソ間のノモンハンしかり。
◎日ロ・日ソの友好運動は、明治以来政府の目の敵であったこと。
◎ヨッフェ(関戸は不勉強で、名前しか知りません)の来日によって、労働運動への影響が大であったこと。
◎神奈川での友好運動・労働運動の闘士、「煙突男」こと田辺潔(柴田さんが生まれた年に死去)の話。

 以上の話は、学校の教科書には絶対に載っていない話ばかりです。わずか30分程度の時間でしたが、大変貴重な話でした。

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 続いて、「カリンカ」をロシア語で歌う講座。川北ナターリヤ先生と通訳の高橋さんがおなじみの「カリンカ」の説明とロシア語歌詞とメロディーを参加者に手ほどき。短い時間で全員の合唱まで。ロシア語の得意な参加者の男女はステージに登壇し、ソロでの歌。やはり、原語のカリンカの流麗さは訳詞の歌よりも数段格調高いものでした。


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 ロシアの文化紹介はさらに続き、北川翔先生のバラライカコンサート。伴奏のギターとともに奏でる曲の美しさは、関戸の下手な文章では表現できないほど。紙面でしか伝えられないのは残念でなりません。また、少し私的なことを言わせていただければ、バラライカには関戸にも笑い話のようなエピソードがあります。関戸の父はシベリヤ抑留体験者です。父からはシベリヤ時代のことをいろいろ聞きました。その一つにバラライカがあるのです。父は「ソ連軍の兵士が持っていた自動小銃のことをバラライカと呼んでいた」と語ったのです。そのため、関戸は長いこと、バラライカとは自動小銃のことだと思っていました。ところが、映画「ドクトル・ジバゴ」を観た際、ラストで娘が背中に担いだ三角形の楽器を 「バラライカを?」と聞き、娘の恋人が「プロですよ」と答えるシーンがありました。映画を見終わって、すぐに父に聞きました。すると「ああ、ボルガの舟歌を奏でるバラライカのように、肩や首からぶら下げている格好からバラライカと呼んだんだ」と答えたのです。バラライカが楽器ということを知ったエピソードです。そのバラライカを、日本で一躍有名にした映画「ドクトル・ジバゴ」ララのテーマの調べを聞きながら、亡き父との思い出にひたりました。他にも、ロシアロマンスの「あなたに逢えたら」、しみじみとした「行商人」のメロディーは参加者の心にしみ通りました。

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 そして、お待ちかねのレセプション。ロシアらしくウォッカでの乾杯。料理教室での腕前を発揮して、滝沢さんと梅津さんが一生懸命作ってくれた、おいしそうな匂いが気になっていた「スィールニキ」と「ハチャプリ」には列ができました。サモワールでのお茶も好評で、ウォッカやお茶を片手に、楽しい歓談の時を過ごしました。物産展も開き、今日の記念にいろいろな民芸品を買う参加者もいました。遅れてやってこられた来賓からも祝辞を頂きました。

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 また、同時進行でバラライカ、ドムラ、マトリョミン、マトリョーシカ絵付けの体験コーナーには興味を持った参加者が取り組んでいました。人の切れ目がなかったのが、民族衣装のコスプレです。ルパシカやサラファンをまとっての写真撮影は終了間際まで続きました。

 レセプションでは他にも、県連の行事の際にはいつも出演してくださる樋口さんのドムラ演奏とうたごえが会場に響きました。樋口さんも神奈川県連の教室出身者です。

 締めくくりはマトリョミン演奏。地元横浜を意識してか、「伊勢佐木町ブルース」がレパートリーに入っていました。マトリョミンの演奏者は全員女性なので、「伊勢佐木町ブルース」は華やかさと艶やかさで会場を沸かせました。また、おなじみのロシア民謡メドレーや荘厳なロシア国歌のメロディーが奏でられ拍手喝采でした。参加者の中には、初めてのマトリョミンに興味津々の方もおられました。

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 楽しい時間はあっという間に過ぎるもので、閉会を迎えました。今、こうして楽しかったことを思い出しながら、この記事を書いていて思います。半世紀という歴史を持つこの神奈川県連の取り組みは、次の50年に続くものです。読み上げた福島さんのメッセージに「多くの会員が集まって支え、幸せな協会」とありました。本当に多くの人に支えられて来たのです。次の50年もその多くの人たちとともに一緒に歩んでいきたいと強く感じました。

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 関戸はこの神奈川県連と同い年で10月で50歳になりました。次の半世紀、つまり神奈川県連100周年にはたぶん、関戸はこの世にはいないでしょう。けれども、人の心が不滅のものならば、歌の文句ではありませんが、まさに「千の風になって」この協会を見守りたいと思います。

 50年間、本当にありがとうございました。そして、次の50年間、どうぞよろしくお願いします。

(写真:桜井 直哉)


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