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ロシア文化


中世ロシア興亡史講義 ~歴代君主の素顔とその真実~ 862-1598
Лекции по истории средневековой Руси

第124回 ユーリー、大公国勅書を手に入れる

現在のコストロマ  汗国に到着したユーリーは、その地にほぼ二年間滞在したが、ウズベク汗からいかなる処罰も受けなかった。それどころか反対に、ユーリーは、おそらくかなりの額の資金援助をノヴゴロドから受け、それをもってしてウズベクの信頼と好意を勝ち取り、コンチャカというウズベクの妹(洗礼時にアガフィヤの名を授かる)を妻に娶ることとなった。結果として、彼はウラジーミル大公国の勅書をも手に入れることとなったが、当の初めはノヴゴロド公国の勅書だけを期待していたと思われる。

 総じてウズベク汗の決定は、支配下にある民衆に対する汗国の戦略的方針――貢税を欠けることなく定期的に徴収する――と一致しているとは言い難かった。少なくとも、この貢税徴収という点においては、新大公ユーリーはまだ得体の知れぬ人物だったからである。その点、脇に追いやられたトヴェーリ公ミハイルは、十年以上もの間、ルーシの地から確実に貢税を取り立て、それを汗国に送っていた。常に汗国に忠誠を示していたミハイルがウズベク汗に邪険にされるのは一見不可解であるが、ミハイルがこの期間に力を増大させ、汗国に対して将来より強硬な態度を取るようになるかもしれない、とウズベク汗が危惧していたこともあり得よう。いずれにしても、1317年、新大公ユーリーは汗の使者らとタタールの軍隊を引き連れてルーシへ戻った。それは、このような場合に定められている臨時の追加貢税(簡単に言えば、勅書代)を徴収するためになくてはならないものだったが、ミハイルは、ユーリーが自分の領地であるトヴェーリを破壊するために進軍してくるのだろうと思い、自らも軍隊を率いて、コストロマ付近でユーリーと相まみえた。そこで、汗の使者らの長であるカヴガディ公との談判から、ユーリーが大公国勅書を手に入れたこと、ウズベク汗と親戚関係になったことを、ミハイルは知った。彼は、ウラジーミル大公位をモスクワ公のものと認め、自身の領地であるトヴェーリに去っていった。

 その後、しばらくの間、大公ユーリーはトヴェーリ公に軍事的敗北を負わせようとはしなかった。一方、自分が統治した12年間の間に一度も汗の命令に背かなかったミハイルも、ウズベク汗の妹を娶った新大公などと戦争を始めようとはまったく思わなかった。しかしながら、それでもユーリーはコストロマにとどまり、トヴェーリ遠征の準備を始めつつあった。汗の使者カヴガディは、貢税を徴収し、それを汗国へ発送することよりも、高価な戦利品を奪取することに心を奪われており、軍隊と巧みな言葉によってユーリーを支えた。さらに、自分の領地が踏みにじられ、荒らされることを恐れたスーズダリ諸公がユーリー側に加わった。北のノヴゴロドにも、「北方からトヴェーリを攻撃しないか」という提案を携えたユーリーの使者が遣わされた。

 次回は「窮地に立たされた大公ユーリー」。乞うご期待!!

 写真:現在のコストロマ(radnews.ru/добро-пожаловать-в-костромуより)

(文:大山・川西)

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