特定非営利活動法人 神奈川県日本ユーラシア協会

ロシア文化


中世ロシア興亡史講義 ~歴代君主の素顔とその真実~ 862-1598
Лекции по истории средневековой Руси

第145回 イヴァン・カリターの最期

 モスクワ側の誘導により汗国で前大公アレクサンドルが処刑されたが、その後トヴェーリ公国を継いだのは、アレクサンドルの弟であるコンスタンチンであった。コンスタンチンはトヴェーリの統治に着手したが、彼はモスクワにいかなる不愉快な思いもさせることがなく、イヴァンはコンスタンチンの存在を不安に思うことはなかった。

 大公イヴァンは自らの支配のさらなる確立に努め、トヴェーリとの長年に渡る戦いに勝利の終止符を打つために、トヴェーリの地の重要な寺院である聖スパス聖堂から民会の鐘を取り外し、それをモスクワへ運ぶように命令を下した。

 トヴェーリとの主従関係をある程度固めたイヴァンは、再びノヴゴロドのことに取りかかろうとしたが、1340年に彼は汗国へ向かうこととなった。汗自身が彼を呼び出したのか、あるいはイヴァンの方に訪れる理由があったのかは定かではない。だが、汗の大公イヴァンへの友情が冷めつつあるという、何らかの兆しが見えていたのかもしれない。1327年の時と同じく、イヴァンは汗国出立前に二度目の遺言状を作成し、書き込みも付した。それは、モスクワを発つ前日に書かれている。彼は遺言状の中で、分領地と町々を息子たちに分配し、モスクワ興隆の事業の継承とルーシの全地におけるモスクワの権力の拡大を、息子たちに言いつけた。

 イヴァンが向かった先の汗国では、不愉快なことは何も起こらなかった。ただ、他のルーシ諸公と共に、汗に不従順な態度を示したスモレンスクを攻撃するよう、懲罰遠征隊に関する命令を受けた。

 1341年の早春、大公は重病にかかり、出家してスヒマ(正教会における最高位格の修道士)となり、その年の3月31日に永眠した。イヴァン一世・カリターは、1333年に彼自身が願ったように、モスクワのアルハンゲル・ミハイル教会に埋葬された。後の時代(16世紀)にこの教会の跡地に建てられたのが、アルハンゲリスキー大聖堂である。ここには、歴代の大公たちが埋葬されることとなった。

現在のアルハンゲリスキー大聖堂
https://ja.wikipedia.org/wiki/ より

(文:大山・川西)

HOME > ロシア文化 > 中世ロシア興亡史講義 > 第145回

特定非営利活動法人 神奈川県日本ユーラシア協会
Общество «Япония-Евразия» префектуры Канагава (НКО)

〒231-0062 神奈川県横浜市中区桜木町3-9 横浜平和と労働会館5階
Tel / Fax : 045-201-3714  E-Mail : E-Mail  MAP

(c) Copyright by Specified Nonprofit Corporation Kanagawa Japan-Eurasia Society. All rights reserved.