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ロシア文化


中世ロシア興亡史講義 ~歴代君主の素顔とその真実~ 862-1598
Лекции по истории средневековой Руси

第84回 アンドレイ二世即位(統治1248-1252)~偶然手にした大公位

アンドレイ二世

 故大公ヤロスラフ二世の三番目の息子アンドレイに関する、ちょっとした記述が年代記の中に初めて見られるのは、1238年になる。1240年、ノヴゴロドを治めていた、アンドレイの兄のアレクサンドルは、住民とうまく折り合いがつかず、町から立ち去ってしまった。その後一年も経たない内に、ノヴゴロドの諸土地をリヴォニアのドイツ人が襲撃し、北国の人々は大公ヤロスラフ二世に助力を求めた。大公は彼らのもとにアンドレイを差し向けたが、アンドレイはおそらく期待に応えることができず、ノヴゴロドの人々は再度自分たちのところにアレクサンドルを招き、1241年にアレクサンドルはアンドレイに代わってノヴゴロドを再び治め始めた。翌年4月、アンドレイは自らの従士団を引き連れて、ロシア史上有名な氷上の戦い(1242年、チュド湖でアレクサンドルがドイツ騎士団を破った戦い。詳細は後述)にて兄を助けた。

 1246年の秋にカラコルムからの帰還中にヤロスラフ二世が亡くなった後、カラコルムにある大汗の本営では、あらゆることから判断して、ヤロスラフ二世の息子のアレクサンドルに大公国を譲渡することが計画され、アレクサンドルのもとに使者が遣わされた。ヤロスラフ二世の第一子フョードルは1233年に14歳で亡くなっており、その時からアレクサンドルが一族の最年長者となっていた。しかし、アレクサンドルはカラコルムへ急いで出立しようとせず、1247年の末にようやく弟アンドレイを連れて旅立った。最初、兄弟は別々に、キプチャク汗国のバトゥのもとへ忠誠を示しに向かい、アンドレイが一足先に到着した。その後、二人で遠方のカラコルムへ向かった。大汗は、アレクサンドルが自分のもとにすみやかに姿を現さなかったことに激怒したのかもしれない、彼は罰としてアレクサンドルにウラジーミルではなく、キエフとノヴゴロドを与えた。ウラジーミル大公国の勅書は、弟のアンドレイが受け取ることとなった。

ドイツ騎士団

 兄弟がカラコルムを訪れている間に、ルーシでは多くのことが起きていた。1248年、彼らの弟ミハイルが、カラコルムに無断でキプチャク汗国によって任命されたスヴャトスラフ三世を、大公位から追放したのである。同年、ミハイルはリトアニア人との戦いで非業の最期をとげ、そしてこの頃、アンドレイは大汗から勅書を受け取った。スヴャトスラフ三世は、大公国への復権を目指すいかなる行動も取らず、1249年にカラコルムから戻ったアンドレイは、事実上空位となっていた公位に何の障害もなく就き、アンドレイ二世となった。一族の最年長者であるアレクサンドルの立場からすれば、アンドレイは不当に大公国を手にしたのであった。

 次回は「大公位をめぐる兄弟の攻防」。乞うご期待!!

(大山・川西)



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