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ロシア文化


中世ロシア興亡史講義 ~歴代君主の素顔とその真実~ 862-1598
Лекции по истории средневековой Руси

第94回 ルーシの地の人口調査

タタールの徴税官  1257年の初め、ベルケ汗は、ルーシの地の一斉戸口調査を命令した。それによって課税台帳を新たに作成してルーシの人々が税から逃れることを不可能にし、ルーシ全体の貢物の総額をいちじるしく増やすことが目的だった。キエフとチェルニーゴフの戸口調査が終わった後、ネフスキーは弟のアンドレイと共に高価な贈り物を携えて、恭順の意を示すためにキプチャク汗国へ出発した。おそらく、北東ルーシの戸口調査の回避を試みたのであろう。しかし、うまくいかなかった。帰国した彼らに続いてタタールの調査役人が到着し、スーズダリとリャザン、ムーロムの地の戸口調査が行われた。民衆は憤慨したが、さしあたりは服従した。戸口調査が行われるという情報が届いたノヴゴロドでは、騒動が起こり、大公ネフスキーがタタールの調査役人を連れて町に到着すると、ノヴゴロドを治めていた彼の息子ヴァシーリーは、抗議のしるしにプスコフへ去ってしまった。その時は、ベルケ汗にふんだんに贈り物をすることによって、ノヴゴロドの人々は調査の中止を取り付けることに成功した。しかしながら、息子の振る舞いに激怒したネフスキーは、彼をプスコフから追放し、僻地にあるコストロマへ差し向けた。というのも、ヴァシーリーの軽はずみな行動がタタールを挑発し、その襲撃を引き起こすことがあり得たからであった。ネフスキーは自らの考えで、ヴァシーリーにこういった振る舞いをさせた者を罰した。「ある者は鼻を切り取られ、ある者は目を抜かれた」。1259年、タタール人は二度目の試みで、ノヴゴロドの戸口調査を行うことに成功した。ネフスキーは彼らと共に訪れて住民を静め、ノヴゴロド統治のために二番目の息子ドミートリーを残していった。

 作成された課税台帳に基づいて、1259年からタタールの徴税官らの定期的な税の徴収が始まった。彼らはあらゆる諸都市と大規模な居住地に配属された。一部の地域の貢税徴収はルーシの徴税代理人が行ったが、ネフスキーがそれを為しえたのはノヴゴロドとプスコフのみであり、そこではネフスキーの代理人が税を徴収した。当時ルーシの人々に課されていた税は、世帯毎に徴収される戸口税、さらに犂税、駅逓税、戦争税などがあった。

ノヴゴロド  タタール人が税を免除したのは、聖職者だけであった。おそらく、教区信徒に服従の精神を育むことを、タタール人は聖職者に期待したのであろう。民衆は税を払うだけでなく、住民の負担で汗の使者と部隊を扶養し、汗の軍隊に馬と荷馬車を調達しなければならなかった。加えて何よりも辛かったのは、汗が遠征する際にルーシの兵士を汗国へ差し出さなければならないことだった。この場合、自分たちの同国人に対する軍事行動の可能性も十分あり得たのである。

 次回は「ヒヴァ汗国商人の到来と民衆蜂起」。乞うご期待!!

(大山・川西)



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