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ロシア文化


中世ロシア興亡史講義 ~歴代君主の素顔とその真実~ 862-1598
Лекции по истории средневековой Руси

第126回 大公ユーリー、カヴガディと陰謀を図る

トヴェーリ公ミハイル  大公ユーリーにとって幸いだったことに、彼と同じく切羽詰まった状況に陥っていたのが、汗の使者であるカヴガディであった。トヴェーリ公ミハイルの有罪が立証されなければ、逆に罪ある者とみなされるのは、まさにカヴガディその人であった。というのも、汗の意思に反抗しなかったミハイルの領地であるトヴェーリに向けて、ユーリーが出撃するのを止めず、汗国への貢税と贈り物の発送を確保もせず、その上、タタールの部隊の一部を失って、自分自身もミハイルの捕虜となってしまったからである。これら数々の失態は汗自身の権威の下落へとつながり、その責任を問われてカヴガディの首が跳ぶことは十分あり得た。こうして、自らの保身のためにユーリーとカヴガディはすぐさま手を組むこととなった。

 彼らに不利な状況を打開するために、両者は汗の裁きの場でミハイルを中傷誹謗し、云われなき罪を彼に被せる計画を立てた。そのために手始めとして、いくつかの問題を解決するためにモスクワを訪れてきたミハイルの使者を、彼らはあっさりと殺害してしまった。ユーリーにとってはミハイル側と交渉するどころではなく、カヴガディと共に前もって、汗の眼前でミハイルを非難するために告発文書を作成する必要があったのである。ミハイルによる貢税の着服、汗への不服従と汗の使者カヴガディとの戦い、国庫金を持ってミハイルが国外へ逃亡しようとしていた企て、ユーリーの妻の毒殺など、数々の罪状がそこにはしたためられた。さらに、カヴガディの勧めにより、大公ユーリーは、多く諸公や貴族、高名なノヴゴロドの人々を、自身と共に汗国へ出立するよう招いた。計算高いカヴガディはすべてを見越していた。ノヴゴロドの人々はトヴェーリ公のために随分ひどい目にあってきたので、裁きでミハイルに不利な発言をする可能性があったし、財政的な面からいっても、ノヴゴロドの資金はモスクワのそれよりはるかに富んでいた。ノヴゴロドからユーリーへの資金的援助に関する直接の指摘は諸史料には見当たらないが、ここでは様々なもくろみや野心がうずまいていたと考えられる。

 1318年の夏、大公ユーリーの一行は汗国に到着した。おそらく、カヴガディは自分たちが携えた虚偽の告発文書の説得力に疑念を抱いていたと思われる。彼は、汗国への道中にあるミハイル公を捕らえて殺害する任務を帯びた部隊をひそかに差し向けていた。しかし、これは失敗に終わった。1318年9月の初め、ドン川の河口にある汗の本営の一つに、汗への忠誠を示すためにミハイルが現われた。

 ミハイルの運命は最初から定まっていた。カヴガディとユーリーは、汗の側近の内の有用な人々を自分たちの側につけることにすでに成功していた。二度、汗の裁きが行われ、二度とも全会一致でミハイルに死刑判決が下された。この時、カヴガディは裁き手としても、告発者としても同席し、ユーリーも別の告発者たちの中にいた。

 次回は「敵対者を一掃したユーリー」。乞うご期待!!

 写真:トヴェーリ公ミハイル(dmdonskoy.ru/node/596より)

(文:大山・川西)

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