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ロシア文化


中世ロシア興亡史講義 ~歴代君主の素顔とその真実~ 862-1598
Лекции по истории средневековой Руси

♪ブレイクタイム♪ 第76回 ロシア中世文学

修道僧ネストルの像

 ロシア中世文学は、いわゆる「年代記」を中心に発展したといえる。そこで重要視されたのは事実であり、虚構の世界ではなかった。これは、その後のロシア文学を形成する糧の一つとなる。

 年代記の中でも総合的な内容を持つものの一つに、『原初年代記』がある。1113年、キエフのペチェルスキー修道院の修道僧ネストルによって、それはまとめられた。そこでは、ノアの洪水の時代から説き起こされ、伝説の建国者リューリックから1110年までの歴史が書かれ、現実の事件がキリスト教的観念で意味づけられている。しかし、ロシアの伝説やフォークロア的な説話などからも少なからず素材が取り込まれ、使われている言語も、古代教会スラヴ語から離れた古代ロシア語文語というべきものになっている。

 また、『原初年代記』ほど大きな作品ではないが、やはりロシア文学の特徴をよくあらわしている中世文学に、『ボリスとグレープの物語』がある。ウラジーミル大公(960-1015)の息子であるボリスとグレープは実在の人物であるが、ウラジーミル大公が亡くなると、彼ら二人を含む兄弟間でキエフ公位をめぐって血みどろの争いが繰り広げられた。その最中に、彼ら二人は無抵抗のまま兄に殺害された(第17回参照)。何の抵抗もせずに殺された敗者は、普通なら無能とさげすまれ英雄となることはないだろうが、ロシア人は古来から人間の価値をプラスの分量だけでなく、マイナスの分量でもはかってきた。ロシアではこの二人はヒーローとなり、教会の聖者となってロシア人に愛されることとなった。

『ポロヴェツとの戦いに敗れたイーゴリ公』(ヴァスネツォフ画)

 その他、歴史的事実を素材にした有名な中世文学に、『イーゴリ軍記』がある。かつてのロシアはヨーロッパの東端に位置していたため、たえずアジア側に居住する遊牧民族の侵略の危険にさらされていた。その遊牧民族の一つにポロヴェツという強力な種族があり、11世紀に東方から進出してきて、ハンガリーやビザンチンにまで入り込んでいった。ポロヴェツとロシア人との間には、1051年に初めて軍事的衝突が起こり、その後長い間にわたって勝ったり負けたりの戦いが繰り返されることとなった。この『イーゴリ軍記』は、1178年から1199年までノヴゴロド=セーヴェルスキー、それ以降はチェルニーゴフの公位にあったイーゴリ公が主人公となっており、作品の題材は、ロシア軍が歴史的な大敗を喫した1185年の戦いとなっている。はじめポロヴェツに対して勝利し、やがて敗れ囚われの身となったイーゴリ公が、ポロヴェツ人の協力者を得て脱走し妻ヤロスラヴナのもとへ帰るまでが描かれているのであるが、ここでもマイナスの分量によって英雄が語られているといえよう。

 いずれにしろ、それらの作品の内で我々は確かに、ロシア精神なるものに触れることができるのである。

【参考文献】
原卓也監修『ロシア』新潮社、1994年。
藤沼貴他著『新版ロシア文学案内』岩波文庫、2000年。

(大山・川西)



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