地球上の陸地の八分の一にあたる国土を擁する世界最大の国家ロシアは、
今からおよそ千年前は、たび重なる遊牧民の襲撃におびえる平原の一国家にすぎなかった。
当連載では、ロシア萌芽期の歴史を絵と文章で追ってゆく。
なお、底本として、2003年にスモレンスクで出版された"Российские государь 862-1598"を参考としている。
文:大山 麻稀子・川西 信義 (*)
*共著は第198回まで。川西氏は2022年5月に逝去されました。ご冥福をお祈りいたします。
※この記事は神奈川県日本ユーラシア協会機関紙に2006年5月号から連載されています。
第153回(2019年1月号)以前については旧ホームページでごらんください。
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