NPO法人神奈川県日本ユーラシア協会

中世ロシア興亡史講義~歴代君主の素顔とその真実~862-1598

読者諸氏へ

地球上の陸地の八分の一にあたる国土を擁する世界最大の国家ロシアは、
今からおよそ千年前は、たび重なる遊牧民の襲撃におびえる平原の一国家にすぎなかった。
当連載では、ロシア萌芽期の歴史を絵と文章で追ってゆく。
なお、底本として、2003年にスモレンスクで出版された"Российские государь 862-1598"を参考としている。

(文:大山 麻稀子・川西 信義)

※この記事は神奈川県日本ユーラシア協会機関紙に2006年5月号から連載されています。
第153回(2019年1月号)以前については旧ホームページでごらんください。

 
第179回

第179回 叔父ユーリーとの最初の対決

 1431年、ヴァシーリー二世の祖父であり、彼の後見人でもあったリトアニア大公ヴィトフトが永眠した。彼の地位を継いだのは、ポーランド王ヤガイロの兄弟である…続きを読む

PAGE TOP

 
第178回

第178回 後継者争い

 ドミートリー・ドンスコイの子孫たちの間の権力をめぐる争いは、大公ヴァシーリー一世が亡くなった直後から始まった。ヴァシーリー一世の息子であるヴァシーリー二世が十歳で大公位を継いだ際に…続きを読む

PAGE TOP

 
第177回

第177回 幼いヴァシーリー二世(盲目公/統治1425-1462年)、大公位を継ぐ

 自分が亡くなるかなり前から入念に遺言状を作成していたヴァシーリー一世は、大公位を三男ヴァシーリーに譲った。このヴァシーリー一世が世を去った時、息子のヴァシーリー二世はわずか十歳であった。…続きを読む

PAGE TOP

 
第176回

第176回 大公位譲渡問題

 大公ヴァシーリー一世は、自分の後に続く代について、幾度となく思いめぐらした。彼が最初の遺言状を作ったのは1405年のことであり、代々の大公の例にならって、汗国への行軍出立前に作成した。…続きを読む

PAGE TOP

 
第175回

第175回 汗国との紛争

 ヴァシーリー一世が自らの統治期間、少なからぬ犠牲を払っても友好関係を保持しようと努めた、その相手のリトアニア公ヴィトフトは、大概において平和を乱しはしなかった。…続きを読む

PAGE TOP

 
第174回

第174回 モスクワとリトアニアの抗争

 ヴァシーリー一世の妻の父親であるリトアニア公ヴィトフトは、内戦を経て1392年からリトアニアの地を統治していた。1395年9月末、ヴィトフトはスモレンスクを占拠し…続きを読む

PAGE TOP

 
第173回

第173回 ノヴゴロドとの衝突

 1392年、ヴァシーリー一世とノヴゴロドとの最初の紛争が勃発した。ノヴゴロドの人々は大公と結ぶ条約の中で、モスクワ公の裁判に出頭しない権利をほぼ常に獲得していたが…続きを読む

PAGE TOP

 
第172回

第172回 ヴァシーリー一世の統治(2020年10月号掲載)

 1390年12月、ヴァシーリー一世の花嫁となるリトアニア公の娘ソフィアが、モスクワへ到着した。翌年1月9日、彼らの結婚式が執り行われた。…続きを読む

PAGE TOP

 
第171回

第171回 ドンスコイの息子ヴァシーリー一世(統治1389‐1425年)、大公位につく(2020年9月号掲載)

 1389年の春、重病の大公ドミートリー・ドンスコイは遺言状を作成した。長男のダニールはこの時すでに落命しており、彼の後継者となったのは…続きを読む

PAGE TOP

 
第161回~第170回目次

第161回~第170回目次

(2019年10月号~2020年8月号掲載)

PAGE TOP

 
第154回~第160回目次

第154回~第160回目次

(2019年2月号~2019年9月号掲載)

PAGE TOP