特定非営利活動法人 神奈川県日本ユーラシア協会

ロシア文化


中世ロシア興亡史講義 ~歴代君主の素顔とその真実~ 862-1598
Лекции по истории средневековой Руси

第118回 ミハイル二世(トヴェーリ公)に忍び寄る危機

戦いに勝利したトヴェーリ公ミハイルと、捕虜となったカヴガディ 挿絵:戦いに勝利したトヴェーリ公ミハイルと、捕虜となったカヴガディ(fictionbook.ruより)

 モスクワ公ユーリーが勅書を得たことによって大公位の称号を失ったトヴェーリ公ミハイルは、汗の裁判を受けに汗国へ出立する前に、ユーリーとの間に残るすべての係争問題を解決しようとモスクワへ自分の使者を派遣した。しかし、大公ユーリーと汗国のカヴガディには別の意図があり、ユーリーの使者を殺害してしまう。

 汗の使者としてルーシの地へやって来たカヴガディ公は、その頃かなり危うい立場に立たされていた。というのも、来るべき汗の裁判でミハイルが正しいと認められれば、それまでのすべての事件の主犯はまさにカヴガディとなるからであった。遡ること一年前、ウズベク汗はカヴガディに、ユーリーを新たに大公位へ就かせるよう指示し、軍隊をゆだねて彼をルーシの地へ送り出した。この時、ユーリーに大公位を追われたミハイルは何の抵抗もしなかったのであるが、カヴガディはこのような場合に定められている臨時の貢税と贈り物を汗国へ送る代わりに、ミハイルの軍隊を粉砕するためにユーリーに戦争を始めることを許可していた。その上、ミハイルとの戦いでタタール人の兵士の一部は非業の最期を遂げ、カヴガディ自身も名誉は保たれていたとはいえ、ミハイルの手に落ちて捕虜となっていた。これらすべてのカヴガディの失態はウズベク汗の顔に泥を塗ったも同然なのであり、汗の不快をこうむることは一目瞭然、これらの事実によってカヴガディ自身が斬首に処されることも大いにあり得た。他方、ミハイル側からしてみれば、彼は自分の世襲領地を守り抜いただけであり、汗の意志に抵抗する気持ちは微塵もなかったのであって、十分に釈明が可能であった。

 窮地に追い込まれたカヴガディは、ユーリーと手を結んでトヴェーリ公ミハイルを罠に陥れる計画に着手した。汗の眼前で事実をねじ曲げる唯一の方法は、“中傷”であった。このカヴガディは後年、幾つかの年代記の中で、トヴェーリ公に非業の死をもたらしたところの「あらゆる悪の源」と呼ばれることとなる。

 その頃ミハイル公は、ウズベク汗に自らの忠義を示すために、当時の慣習に従って汗国へ自分の12歳の息子コンスタンチンを人質として送った。その後、自分も出立する準備を始めるが、今度ばかりは、ユーリーとカヴガディが共謀しているとの情報や、彼らがモスクワとスーズダリの多くの貴族諸公やノヴゴロドの代表者たちを引き連れて汗国へ出発したとの報せが、公のところにも入ってきた。ミハイルの息子たちやトヴェーリの貴族は、ミハイルに出立を思いとどまらせようとした。モスクワ側の企みはあまりに明白だった。しかし、ミハイル公は彼らに次のように答えた。「もし私がこのことを回避したら、私の世襲領地は征服され、多くのキリスト教徒が殺害されるだろう。その後、私は死ぬはめとなる。それならば、多くの命を救うために自分の命を捨てた方がいい」と。

 次回は「汗の裁判」。乞うご期待!!

(文:大山・川西)

HOME > ロシア文化 > 中世ロシア興亡史講義 > 第118回

特定非営利活動法人 神奈川県日本ユーラシア協会
Некоммерческая организация "Общество Япония-Евразия, отделение префектуры Канагава"

〒231-0062 神奈川県横浜市中区桜木町3-9 横浜平和と労働会館5階
Tel / Fax : 045-201-3714  E-Mail : E-Mail  MAP

(c) Copyright by Specified Nonprofit Corporation Kanagawa Japan-Eurasia Society. All rights reserved.