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ロシア文化


中世ロシア興亡史講義 ~歴代君主の素顔とその真実~ 862-1598
Лекции по истории средневековой Руси

第88回 北西ルーシを取り巻く三つの脅威

12-13世紀のルーシ地図

 13世紀は、タタールの襲来以外にも、ルーシが外敵の激しい攻撃にかつてないほどさらされた時代であった。当時、ノヴゴロドをはじめとする北西および西ルーシ諸国は三つの政治勢力と互いに向き合っていた。リトアニア、スウェーデン、リヴォニアのドイツ騎士団である。その中でもとりわけ危険であったのは、バルト海南岸を破竹の勢いで東進しつつあったドイツ騎士団であった。十字軍運動の最中に初めはエルサレムへのキリスト教巡礼者を守る目的で結成されたドイツ騎士団は、その後異教徒のキリスト教化を名目に諸民族征服の軍事的先鋒となっていた。そのため、ドイツ人とスラヴ人の間では、要塞の包囲と占領を伴う中小の国境の衝突が、頻繁に起こっていた。付け加えておくが、ノヴゴロドの人々も穏和な性格というわけではなく、時としてそれら軍事衝突のイニシアチブを取り、近隣の領土にも定期的な襲撃を行っていた。こういった軍事衝突がいつかは大きな戦争を引き起こすことになると誰もが分かっていたが、問題はその時がいつかということだった。バトゥ汗によるルーシへの二度の破壊的な襲撃が行われた後、スウェーデンとリヴォニアにはルーシを打ち倒す好機が到来したと思われた。

※図右上:12-13世紀のルーシ地図(『ロシア史1』山川出版社より。表記の「リトヴァ」とは「リトアニア」のこと)

 1240年、スウェーデンは、ノヴゴロド遠征開始を同国に委ねる、ローマ教皇勅書を受け取った。侵略の大義名分は、スラヴ人の間におけるローマ・カトリックの普及と、ローマ教皇による北方ルーシの地の隷属化であった。他方、ノヴゴロドの側からみれば、当然、その戦争は同様に、ギリシア正教を擁護するといった、宗教的性格を部分的にはらむものであった。

ネヴァ川の戦い

 同1240年、スウェーデン王は、ビルゲル公爵の指揮の下、スウェーデン人、ノルウェー人、フィン人の連合軍隊を、ノヴゴロドへ向けて出動させた。彼らは、ノヴゴロドの地の沿岸の一部を占領すれば、特別な力を振り向けなくとも、ラドガ湖を渡って、ヴォルホフ川に沿ってノヴゴロドにたどり着けると踏んでいだ。アレクサンドルは、ノヴゴロドの部隊と共にヴォルホフ川の河口に出、彼のもとにはラドガの兵士が合流した。スウェーデンの船舶はネヴァ川に入り、一日の航程の後、イジョーラ川の河口で休息を取るために停泊した。7月15日、この場所でアレクサンドルは自らの軍隊を率いて先制攻撃を加え、自身も剣を手に取った。勝利は完全にアレクサンドルのものであった。生き残った残党のスカンジナビアの兵士は船でネヴァ川を下って海へ逃走した。アレクサンドルは民衆からネフスキーと言うあだ名を得たが、この年、ノヴゴロドの人々とうまくいかず、家族全員と家臣を連れて、分領地として以前に父から与えられたペレヤスラヴリ-ザレスキーへ去った。

 次回は「氷上の戦い」。乞うご期待!!

(大山・川西)



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