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ロシア文化


中世ロシア興亡史講義 ~歴代君主の素顔とその真実~ 862-1598
Лекции по истории средневековой Руси

第99回 ダウマンタス公の偉業

プスコフのダウマンタスの町  プスコフへ逃れてきたダウマンタス(リトアニア大公ミンダウカスの暗殺者)は、その地で正教会の洗礼を受けて、故大公ネフスキーの息子ドミートリーの娘と結婚した。ミンダウカスの息子ヴァイシュヴィルガスと戦うつもりだったダウマンタスは、プスコフ軍を率いてダウガヴァ川の土手でリトアニア軍を撃破し、ゲルデニス公の地に侵入して破壊を行い、その二人の息子と妻を捕虜にした。このダウマンタスの勇猛な精神、軍事的行為の成功は、プスコフの人々をしてダウマンタスを彼らの公として選出させた。伝統的にプスコフの内政を管轄するのはノヴゴロドであったが、ノヴゴロド公でもある大公ヤロスラフは、当然の如くダウマンタスの選出が気に入らなかった。彼はプスコフの人々の反抗に懲罰を与え、ダウマンタスを放逐しようと大軍を率いてノヴゴロドに到着したが、ノヴゴロドの人々はヤロスラフの遠征に参加することを拒絶、さらにヤロスラフをプスコフへ行かせず、最初に自分たちと戦うよう要求した。これに驚いたヤロスラフは、自分の軍隊をウラジーミルに退却させ、甥のユーリーをノヴゴロドに差し向けると、彼自身はしばらくしてから立ち去った。

 その後、ノヴゴロドの人々はダウマンタスによるリトアニア侵攻に参加すらし、プスコフ軍の指揮を執ったダウマンタスは勝利の凱旋をなした。

聖母を挟んだ聖ダウマンタスとその妻マリア  1268年、ノヴゴロドの人々はダウマンタスと共にラクヴェレ(ドイツ語でヴェセンベルグ)にいるリヴォニア騎士団に向かって進軍した。ラクヴェレ周辺は荒廃させたが、町を占拠することはできなかった彼らは、一度帰還すると、大公ヤロスラフに援助を求め、新たな遠征の準備を始めた。ヤロスラフは彼らに自分の息子たちと軍隊をよこし、それらが加わったノヴゴロド軍とダウマンタス指揮下のプスコフ軍は、再びラクヴェレに向けて発った。彼らは会戦に勝ち、七露里もリヴォニア騎士団を追撃したが、彼ら自身も多大な損害をこうむることとなった。翌年にリヴォニア騎士団総長オットー・フォン・ルーテンベルグがプスコフ包囲を試みたが、ノヴゴロドの支援を受けたダウマンタスはルーテンベルグに負傷を負わせて撃退、リヴォニア騎士団は和平を求め、その後30年間、プスコフとノヴゴロドへの攻撃は止んだ。

 『プスコフ年代記』によれば、ダウマンタスほどプスコフの人々に愛された統治者はいない。人々は彼の軍事的才能を褒め称え、後にロシア正教会はダウマンタスを列聖し、ダウマンタスはプスコフの守護聖人となった。

 1269年末、ようやく無用な軍事紛争がなくなった。リヴォニアのドイツ人との貿易上の不和も軍事衝突を促すものではなかった。こうしてすべてがうまくいけば良かったのだが、この後、大公ヤロスラフは軽率な行動に出てしまうのである…。

 次回は「大公ヤロスラフとノヴゴロド」。乞うご期待!!

(大山・川西)

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