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ロシア文化


中世ロシア興亡史講義 ~歴代君主の素顔とその真実~ 862-1598
Лекции по истории средневековой Руси

第34回 若き獅子ウラジーミル・モノマフ

 ウラジーミル・モノマフはすでに若い頃から、諸公間の内乱や遊牧民であるポロヴェツ人との衝突を体験することとなった。ポロヴェツ人は1060年代の半ばから、執拗に南ルーシの定住地を脅かしていたのである。こういった状況の中で、ウラジーミル・モノマフの内には断固たる態度、勇敢さ、決議採択における自主性といったものが必然的に形成されていった。

 後年、自伝『子らへの教訓』の中で若かりし時代を思い出しながら、彼は次のように書きしたためている。

 「自分の従士が行ったことは、私自らも常に行った――遠征中でも狩猟の際でも、夜でも昼でも休まずに、炎暑や酷寒もかえりみることなく。私は代官たちや触れ役に頼ることなく、家政のあらゆる秩序に自ら注意を払った。私は猟の時も自分で支度を整え、馬も、狩猟用の鳥すらも――ハヤブサもオオタカも――自分で世話をやいた。私は密林の中で三十頭もの野生の馬の足を自ら縛り上げ、さらにステップで馬を乗り回さなければならなかった時は、同じく野生の馬をこの手で捕えた。

 二度ばかり、シカの角にかけられたこともあるし、一頭のヘラジカに踏みつけられ、他の一頭に角で突かれたこともある。野生のイノシシが私の腰から剣を引きちぎったり、熊が私のひざに噛みついたり、ある時は大ヤマネコが私の腰に飛び乗って、馬ともども押し倒したこともあった…」

 自らの腕力と、武器を使いこなす能力のおかげで、ウラジーミル・モノマフは常に危険な状況から見事に脱した。彼は軍事司令官として習熟していたばかりでなく、それなりの教育も受けており、教会文献や世俗文学を理解した。やがて彼はすばらしい文体を習得し、非凡な文学的才能をあらわすこととなる。

 こうして若い頃から、軍事遠征がウラジーミル・モノマフの生活の切り離せない一部となった。80年代にはすでに、才能ある幸運な軍司令官との評判が諸公の間で定着し、彼が一生の間に自ら参加した軍事遠征は、83回にものぼった。

 さらに、彼の父親である大公フセヴォロド一世は、その統治の初期から、国政に関する個々の仕事を自分の長子にゆだねた。晩年、フセヴォロドは病に襲われ、彼はまったく国政から遠ざかってしまった。国家統治のすべての鍵はウラジーミル・モノマフの手中に置かれた。彼はキエフの貴族を信頼せず、あらゆる問題を自身の側近と審議したが、このことは当然、国政から遠ざけられたキエフの貴族の気に入るはずがなかった。

 1093年に父親が亡くなった後、ウラジーミル・モノマフは大公位要求者の一人となった。しかし、彼のことを快く思っていなかったキエフの貴族が、従姉妹のスヴャトポルクに利するような発言をなした。その上、スヴャトポルクの方が彼よりも年上であり、一族の年長制がいまだ有効であったこともあって、ウラジーミル・モノマフはこの時点では、父親の大公位を引き継ぐことにはならなかった。

 次回は「モノマフ、キエフ入城」。乞うご期待!!

(大山・川西)



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