特定非営利活動法人 神奈川県日本ユーラシア協会

ロシア文化


中世ロシア興亡史講義 ~歴代君主の素顔とその真実~ 862-1598
Лекции по истории средневековой Руси

第44回 フセヴォロド二世とブィリーナ

 ブィリーナ―それは、近代以前に、ロシアの民衆の間で口頭で伝承されていた英雄叙事詩のことを指す。ブィリーナという言葉自体は「実際にあったこと」を意味し、昔話などとは異なって、当時の素朴な民衆は、語り継がれる史実であるかのように、それに耳を傾けたのであった。

 ブィリーナはおもに一人、まれには二人の語り手によって、一定のメロディーをもって歌うように語られた。地方によっては、大勢の人々によって斉唱されることもあったという。いずれにせよ、楽器による演奏はなかった。演奏時間は短いもので数分、長いブィリーナでは一時間半から二時間にも及ぶことがあった。ロシアの民衆は、悪天候のさいや冬の夜長の退屈しのぎに、ブィリーナを聴いてつかの間の楽しみを得ていたのであろう。18世紀以前には、放浪楽師のような職業的芸能者がブィリーナを語っていたが、19世紀も中頃になるとブィリーナ語りによって生計を立てる者はほとんど存在しなくなった。

 フセヴォロド二世は、平穏に暮らす住民に対して強盗のような襲撃をしかけることで若い頃から有名であり、この“悪業”ゆえにブィリーナのチュリーラという名の否定的な主人公のモデルにもなった。彼は晩年になるにつれて、大酒を食らい、自堕落な振る舞いが目立つようになってきた。

 失敗に終わったズヴェニゴロド遠征からキエフに戻ってきたフセヴォロド二世は、体調が非常に悪くなった。これは病気の二度目の発作であり、最初の発作は約一年前に起きていた。自らの死を予感した彼は、ヴィシゴロド近郊の木立の中にある公邸に移り、兄弟たちを迎えに使者を差し向けた。兄弟らが到着したとき、危篤状態にあったフセヴォロド二世はキエフの人々を呼び集め、彼以上に大公になる権利をまったく有していなかった、自分の弟のイーゴリに忠誠を誓わせた。

 1146年8月1日の朝、フセヴォロド二世は亡くなった。彼は、ヴィシゴロドにあり、かつてウラジーミル・モノマフが聖なる殉教者ボリスとグレープの聖骸をそこへ移して、その時以来聖ボリス・グレープ教会と呼ばれている教会に埋葬された。

次回は「イーゴリ公の排斥」。乞うご期待!!

(大山・川西)



HOME > ロシア文化 > 中世ロシア興亡史講義 > 第44回

特定非営利活動法人 神奈川県日本ユーラシア協会
НПО Канагавское общество "Япония-страны Евразии"

〒231-0062 神奈川県横浜市中区桜木町3-9 横浜平和と労働会館5階
Tel / Fax : 045-201-3714  E-Mail : E-Mail  MAP

(c) Copyright by Specified Nonprofit Corporation Kanagawa Japan-Eurasia Society. All rights reserved.